50年ぶりの書
5月初めに娘に男の子が生まれた。40歳での初産になり随分心配したが、母子とも無事だった。達筆な友人に頼み、色紙に「博司」と名前を書いてもらったところ、娘は「お父さんの書いたものが欲しい」と言った。「逃げられない」と覚悟した。
50年ぶりに筆を持つので用具の準備から始まる。ほとんどの書道具は地元の池袋で安いものを集めたが、筆は本場の台湾に買出しに行った。台北は書に溢れる街で、書道人口が多いせいか筆の種類と量と質に満足できる。細目の大筆と小筆のほかに、力強い楷書の手本として唐時代の書家、顔真卿の法帖を入手した。
8月の夏休みに1週間で完成させようと練習を始めた。ところが縦画(縦の線)が真っすぐに書けなくなっていた。他にもいろいろ手が動かない中で、縦画が書けないのは致命的だ。小学校で初めて筆を持った時の方がまだましかと愕然とした。こうして練習の毎日が始まった。30分書くと気持ちが続かず長い休憩をとる。その繰り返しを延々と続けた。家内は優しく励ましてくれた。
大筆は、手首を固定して腕を動かすので、腕を引き寄せれば真っすぐな線が書けるはずである。起点で一瞬筆を止め、そこから少し筆を浮かせて動かす時に曲がることに気付いた。その点に注意して腕を動かしたがどうしても安定しない。そこで、体をのけぞらせる気持ちで腕を引き寄せたら安定してきた。邪道かもしれないが仕方ない。
自分の名前を色紙の左下に入れた。上手い人は大筆の穂先で細い線を書くのだが私にはとてもできない。経験のない小筆を使い、肘を机について筆を安定させる。しかし小筆でも縦画が書けない。周りに横線などがあるとそれを意識して曲がってしまうことに気付く。2日間の苦闘の末、筆順を変えて縦画を先に書くことにした。これでようやく、小筆を使ってあまり曲がらない線を書けるようになった。
予想通り、とても人様に見せられる作品にはならなかったが、ひどすぎる状態からは抜け出した。筆を滑らすのは気持ちがいいので、これからはたまに書いてみようと思っている。