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エッセイ・コラム

ローカル線普通列車の旅 ⑧ ~身延線~

斉藤 征雄

 小淵沢から、中央線で甲府へ移動した。私の体調はすっかり回復した。昼近くになったのでキヨスクで弁当を買う。私は今日も、いなりと巻きずしの助六である。酒もなくなったので、改札を出て駅ビル地下のスーパーでワイン、地酒の大吟醸と、ワンカップを調達した。地酒はわからないままに「梅ヶ枝」という銘柄を買った。南巨摩郡富士川とあるから、今から乗る身延線の沿線の酒に間違いない。
 身延線のホームへ急ぐ。すでに電車は入線していた。我々の前を女子高生の四人組が歩いていた。S氏が突然走り出して四人を追い抜き車両に駆け込んでボックス席を確保した。それが最後の空席だったとわかり、S氏のファインプレーを皆で称賛した。

 身延線は、甲府から富士まで約90km、3時間20分かかる。八ヶ岳を源流とする釜無川と甲武信岳を源流とする笛吹川が甲府盆地で合流して富士川となるが、身延線は富士川に沿ってその左岸を下る。進行方向右側の身延山地と左側の天子(守)山地に挟まれた流域を走るので、富士山は見えないし景色に変化が少ない。
 仕方なく飲みながらひたすら乗っていたら、日蓮宗総本山久遠寺のある身延駅に着いた。当初ここで下車することも考えたが、身延山まで行くには時間がないので断念した経緯がある。駅には「信心の街」との看板があり、静まり返っていた。
 意外に思ったのは、身延駅を出てもいつまでも山梨県が続くことだった。地図をみると、山梨県は身延線沿線だけが異常に静岡県側に突き出していることがわかった。かつて武田と今川が戦ったとき、塩が戦略物資であったらしいが、海のない国の人たちの海を求める気持ちが、このような国境線を生み出したのかもわからないと思った。

 突然、女性の叫び声がした。見ると男女のカップル同志が掴み合いの喧嘩をしている。女性が何かを喚いているが、何を言っているかはわからない。日本語ではないのかも知れない。しばらく続いていたがそのうち何事もなかったように静かになった。日本もだんだんわけのわからないことが起きる国になりつつある。ちょうどトイレに行っていたM女史が戻ってきたのでその話をすると、見たかったと言ってくやしがった。
 トイレといえば、普通列車の旅でトイレがあるかどうかは大問題である。今回の旅はすべて事前に調査してトイレがあることを確認した。そうでなければ安心して酒が飲めないのである。
 列車は静岡県に入り富士宮に着いた。もうすぐ終点の富士である。持ち込んだ酒もなくなった。

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