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エッセイ・コラム

あの日のバスはタイムマシン

福本 多佳子

見知らぬ若い女性との会話が始まったのは環七、目黒通り付近のバス停だった。その頃、私は中野区在住、姉の住まいは目黒区、両方とも環七近辺だった。姉が車で訪ねて来る時渋滞にあわない限り20分弱で到着するが、電車だと渋谷、新宿3丁目経由で小一時間かかってしまう。
「両方とも環七のそばだから、バスで行けるんじゃない?」と考えた私はネット検索してみた。
近くのバス停から「新代田駅」行きの都バスに乗り、「新代田」発「大森操車場」行き東急バスに乗り換えるというルートを見つけた。初回は渋滞も無く5分で新代田着、大森行きに乗り換え20分後には目黒通り手前のバス停に到着した。
新代田駅の隣は杉並区民センター、1階ロビーには椅子、テーブルもある。大きなガラス窓から都バスと東急バスの折り返し用停車場が見えているから、バスが動き出すのを確認してからセンター前のバス停に並べば良いわけだ。時間が余れば階上の図書館に立ち寄るという手もある。「座ったままで来られるのだから帰りもこのルートだ」と決めた。

夕方、同行の友人と急ぎ足でバス停へと向かっていると、停留所に立っている若い女性が私たちを見て「5分ほど遅れるようですよ」と声をかけてくれた。バス停で息を整え、私もナビで運行状況を確認し始めた。20代後半と思われる、その女性が「このルート、最近見つけたんです。新代田へはこのバスの方が東横線・井の頭線ルートよりずっと便利です」と話しかけてきた。「新代田まで乗るんですか?」という彼女の質問から始まった会話は思いがけなくローカルな話題へと発展した。「今は新代田で一人暮らしですが、実家は浜田山です」
「私は24歳まで高井戸に住んでいたの」と応えた。

バスに乗車すると、彼女は私たちの方にやって来た。友人が気を利かせ彼女に席を譲った。その女性との会話はさらに進んでいった。
「実家は以前、高井戸で商売をしていたA水道工事店です」
「お店のガラス戸に書いてあったのを覚えている。私は高井戸小学校卒業」
「すごい、偶然、私の先輩ですね。父も高井戸小学校卒です。父の年齢は__歳です」
「あら、私より一つ年上だわ。(年齢を言う気なんて、さらさら無かったのに…..)私の家の前は林だったわ」と話は弾む。
「庄右衛門さんの森ですね。私の時はテニスコートになっていたけれど、家族がそう言っていました」
結局、我が家の隣家の春山兄弟、私より1歳上のM君が彼女の実家の税理士で、今や隣同士で住んでいる彼の弟A君の娘が友人だと言う。本当にローカルな話題だとびっくりした。話は彼女がどこの中高に進学したかにまで及んだ。
(これって……まるで何十年ぶりかで田舎へ帰った人が地元のバス内で小学校の同級生の娘と知り合い、会話している光景だな……) そういえば、以前、車で環八を走っていて、懐かしさから横道へ入ってみたら、我家の隣家、後ろの家、私道を隔てた前の家、その隣もというように、隣近所の家々には昔のままの木の表札がかかっていた。昭和30年代初頭に建てられた我が家の門にも、父の氏名が書かれた表札がかかっていた。(今は苗字だけだよな……)と思いながら、名前を見ていると、そこに住んでいた旧当主の顔や歩く姿まで浮かんできた。(それとも未だご健在で現当主だったりして…….いや〜そんなはずは?) 隣の家のこの部屋は当時、芸大受験前のお嬢さんのピアノ練習のために増築された建物だ。(まだピアノを教えているのかしら?) ベルを押して「こんにちは」と挨拶したい気分だった。その時、一人だったら、きっと私はベルを押していただろう。(我が家が世田谷に移転したのは40数年前。えっ、その間、我が家以外は引っ越していないわけ? 家族の誰かが引き続き住んでいるんだ。東京23区内といえどもそんなものなのかしら?) タイムマシンに乗っている気分だった。

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