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エッセイ・コラム

名文もよし、悪文なおよし

松浦 俊博

 OBペンクラブに入会したとき目的を明確にしておこうと挨拶で話した。「書くことにより普段の生活に注意を払うようになり、生活の質が向上することを願う」。これは今もそうだ。

 何でも書こう会で紹介される作品は、内容は多分野におよび、文章も分りやすいものもあればそうではないものもある。このばらつきがとてもいい。

 さびれた村を紹介してその歴史や文化に導く作品は、ずっしりと迫ってくる。私には素養はないが、こういう作品を書ければいいなと思う。経済の話は猫に小判、たいがい「だからどうなるの」と冷める。腰痛など日常のネタを落語風にさらりと仕上げる奇才の話は面白い。日常生活や幼かった時の人とのふれあいに、きらりと光るものを見つけ感性高く書かれる作品には心を揺さぶられる。海外経験を書いた作品は多いが仕事がらみは面白くない。現地での生活感が香るものにはほっとする。
 格段に頭のいい物知りによるユーモアたっぷりの作品もいい。作者は元役人だが、役人イコール面白くない人という私の先入観が変わった。特に私の興味を掻き立て、触発される作品に出合うと嬉しい。その中には、自然現象やそのメカニズム・脳の機能などに鋭いユニークな考えを述べて、「えー、こんなことを考えるのか」と驚くものや、仏教の考え方に共感するものもある。こういう作品は必ずしも分かりやすい内容でも文章でもない。

「分りやすく書こう」は確かに大事で、それが名文なのかもしれない。しかし、触発される作品は必ずしも分りやすい内容でも文章でもない。むしろ分りにくく、何を言っているのか考えるうちにハッとすることもある。これはおそらく悪文といわれるのだろう。

 作品がみな名文なら、これほど面白くないことはない。優等生ぞろいの会に入会したくないのは当然だ。ばらつきがあり、悪文があってこそ刺激を受けるのだと思う。K氏が入会したとき私に言ったことを思い出す。「君が書いているのだから俺にもできるだろう」。私の悪文も彼の入会に役立ったわけだ。「名文もよし、悪文なおよし」である。

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