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エッセイ・コラム

考え直そう、コロナを機に

野瀬 隆平

 マスクが買えない。コロナ騒ぎで店頭から消えてしまった。高価な商品ではなく、誰もが財布の中に入れているお金で買えるものである。お金があっても、肝心の「物」が無ければ手に入らないという当たり前の話しである。しかし逆に言えば、物がある限り「お金」さえあれば入手できるということだ。
 仮に病気から逃れたとしても、食料品や日常生活に必要な物が買えなければ生きてはいけない。だが、幸いなことにこの混乱の中でも、生活必需品はまだ店頭に並んでおり、お金さえ出せば手に入る。

 経済活動が停滞する今日のような状況が続けば、必要なお金が得られない人たちが多く出てくる。いや、すでに日銭が入って来なくて生活に困っている人たちがいる。
 従って、今日求められる対策は二つ。先ずは医療や食料など生活に不可欠な物の生産が滞らないようにすること。次に収入が減って必要な物を買うお金がない人たちへの支援である。
 二つ目の経済対策として考えられるのが、思い切った額の現金給付や消費税の減税である。両方とも即効性があり、すぐにでも同時に実行すべきである。
 しかし、実施にあたっての議論がなされる中で、少々気になることがある。一部の政治家や評論家が現金給付には賛成しながらも、消費税の減税には消極的だという点である。一旦、消費税率を下げると、やっとのことで上げた元の率まで戻すのが大変だというのが論拠らしい。
 けれども、この理屈にはどうも納得しかねる。減税して顕著な効果が表れると、そもそも消費税を増税したとことが間違いではなかったのか、と批判されるのを恐れているのではないか。そんなうがった見方さえしたくなる。
 また、別の理由として、現金給付も減税も共に国のお金を使うという点では「財源」は同じなのに、税率を下げることについては、税収が減ることを殊更のように強調するのもおかしい。
 そもそも、「財源」についての根本的な考え方に問題がある。国民から税金を徴収して、それを対策に充てると言うのでは、お金を国民から徴収して国民に戻すということで、お金を往復させるだけで何ら本質的な解決にはならない。
 ここ数年来注目を浴びているMMT(現代貨幣理論)の考えをよく理解している者にとっては、財源はずばり国債の発行しかない。すでに膨大な借金を抱えているのに、更に借金を増やしてより大きな負担を次世代負わせてはならない、と主張する人たちがいる。こんな馬鹿げた思い込みから、今こそ解放されなければならない。国債の発行と引き受けは、あくまでも現世代の人たちの間で完結する問題である。経済が収縮している今日の状況のもとでは、国債を増発してもインフレになる心配はない。
 国の借金である国債に本来区別が無いのに、あえて建設国債と称して赤字国債と区別した例があるが、単に罪悪感を薄めただけのことだ。そんなに形式にこだわるのなら、今回はもっと必要性の高い「救国国債」とでもすればよい。 
 ついでながら、国債は民間銀行を経由して国民の保有する貯蓄で賄われる、という間違った理解からも脱却して欲しい。

 今回の国難ともいうべき事態は、これまで流布されてきた経済の「常識」が、実は違うのではないかと考え直すよい機会になるかもしれない。
 あえて言うならば、流布してきたのは政府の中枢にある優秀な人たちの集団である。そんな人たちが間違ったことを国民に言う筈がないと多くの人たちは信じてきた。しかし、近ごろ明るみに出てきたいくつもの事実から考えて、更には自らの命を賭して真実を明らかにしてくれた人が内部から出てくるに至って、彼らがこれまで言ってきたことが本当なのか、皆が疑い始めたとしてもおかしくない。

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