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エッセイ・コラム

進駐米兵はヘリコプターで

首藤 静夫

「何でも読もう会」で工藤美代子著『工藤写真館の昭和』を読んでいる。読みながら多彩な写真も楽しんでいる。戦前戦後の昭和を懐かしむには好適な一冊だ。
 その中に、終戦直後、一家の疎開先の青森・三沢空港に進駐兵が現れる場面がある。「米国兵は映画の一シーンのように空から現れた」とある。進駐兵のふるまいは紳士的で、恐怖と緊張から解放されていく雰囲気が伝わる好場面だ。

 九州の漁師村に生まれ育った僕は小さい頃は飛行機を見たことがなかった(と思う)。昭和20年代の後半、小学校に上がる前後だったと思う。夏の日の夕刻、子供たちはまだ浜辺で遊んでいた。そこに見た事のない物体がプロペラを回しながら下がりつ上がりつ、ホバリングしている。ヘリコプターと知ったのはあとのことだ。空飛ぶものは鳥か凧しか知らない田舎の子供には想像を超える怪物だった。大人たちも魚網や鍬を放り出して駆けつけた。50人くらいは集まっただろう。

 ヘリコプターは浜辺の一角に着陸した。間近で見る子供に、それは宇宙船か何かを思わせた。こわごわ見つめる先に、金髪の、目のある物が二つ出てきた。これ人間やで、けどケッタイや、と囁きあっているとケッタイな物が何かしゃべった。これが外国人の声を聞いた最初だ。外国人は宇宙人と漠然と思っていたから言葉が聞こえたこと自体が不思議だった。
 彼らは別府の駐屯地から飛んできたようだ。僕らのところは白砂青松の砂浜だから海水浴の下見だろうと大人は噂していた。事実その夏だったか、進駐兵がこの近くに海水浴にきた(P嬢同伴で)。酔った勢いで空のビール瓶を砂に立て、実弾を撃っては興じている。撃つ度に薬莢が後ろに跳ねる。それを子供たちが奪い合う。一つでも拾い取った子は仲間うちの人気者になった。
 その漁村も宅地化の波が押し寄せ、大学ができ、駅には特急が停まるようになった。金髪の留学生もきて日本の彼女と手をつないで闊歩していることだろう。

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