志村-っ、後ろ後ろ。
自分の姓がテレビでほとんど毎日何年にも亘り、それもストレートに呼び捨てで連呼されたことがあるという人は志村姓の人以外にはいないと思う。
就職していろいろな機会で志村と名乗ると、特に電話ではニシムラさん、イシムラさん、と聞き取られることが多かった。「珍しいお名前ですね」「どういう字を書くのですか」というリアクションもあった。
志村という姓は全国苗字ランキング415位で約5万人。東京・神奈川・山梨とその近傍に偏在し西日本には事実上分布しない。古い時代の有名人には「七人の侍」の志村喬、NHKのスポーツアナウンサーの志村正順がいたが、国民の大部分にとって志村を名乗る人間が目の前に現れることが人生初体験になるのが自然な名前である。
それが昭和50年代に入るころから事情が一変した。
「志村です」と名乗ると笑いをこらえる気配を感じるようになり、大勢の中で「シムラ―ッ」と呼ばれるとどっと笑い声が起きるようになった。当時独身の私はテレビを見ていなかったのでしばらくの間は笑われる理由が分からなった。その代わり、名前の説明は不要になった。「分かった、皆まで言うな」と正確に伝わるようになり、仕事でも飲み屋でも一発で覚えてもらえた。
私の場合、功罪半々であったが、小学生だった姪や甥にとっては晴天の霹靂の「災難」であった。そのころ兄は仕事の関係で所もあろうに東村山に住んでいた。「東村山音頭」のヒットにより「東村山の志村」は志村の中でもスペシャルである。一家は彼らが小学生のとき習志野に越した。転校先の小学校は「東村山から志村が来た」とパニックになった。2年生だった甥のみならず、4年生の姉までも、軽い気持の先生を含めて学校中から「志村―っ」と呼ばれることとなり、彼らなりに怒り、悩み、喧嘩にもなり自分の姓を怨むこともあったらしい。
私は今でも初対面や電話で名乗る時「こころざしにむら」と説明するが、志村が全国区になってから結婚した家内は今でも「志村けんの志村」で通している。彼女の旧姓は全国でも20家族ほどという超のつく希少姓ゆえ名乗りには苦労していたので簡単かつ正確に自分の姓が説明できるのは新鮮だったらしい。
志村という関東に偏在する弱小姓を一気に全国区にしてそれを維持してくれた志村けんさんの冥福を祈りたい。
「志村―っ、俺たちもみんな志村だーっ」。合掌。