隗(かい)より始めよ
高校時代に漢文の授業で陶淵明の「帰去来辞」を何度も朗読させられた。冒頭の句、「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れんとす、なんぞ帰らざる」は今でも頭に残っている。その続きは長文過ぎて忘れてしまったが、農村生活のなかで季節や自然に身を任す老年の生き方にロマンを感じたことを覚えている。
京浜工業地帯で長い技術者人生を送っていた時期も、晴耕雨読への憧れは消えず、企業定年時に退職金で山荘を蓼科に建てた。だが再就職をしたり、私や妻が病を患ったりしたことで常住できず、その思いを果せぬまま二十年間が過ぎてしまった。
男子平均寿命を越え、余命も僅か、積年の夢を叶えたい。とは言え、都会生まれの都会育ち、陶淵明のように田舎出身でもない身で、初めての畑作を今さら出来るだろうか。年相応に体力も知力も衰えた。無謀は覚悟、「やらずに後悔するより、やって後悔しよう」と、二十坪の農地を年額七千円で今年より借りた。
山荘より車で十五分ほど下った八ヶ岳山麓、標高一千米の雄大な耕地の片隅である。四月下旬となり、新緑にはまだ早いが、周囲でコブシや桜、桃の花が咲き誇り、足元では元気なタンポポが一斉に遅い春の到来を告げている。鶯の鳴き声も上手になった。静寂だった農地の彼方此方から、耕運機の音が響き出す。北八ヶ岳の斜面に現れた雪形も面白い。
先ほど、生まれて初めての農作業を行った。営農センターで買った苦土石灰を撒き、隣の畑で数年前より耕作している元建築家の知人より手押し耕運機を借り、耕し終えた。来週末には牛糞元肥を施すつもりである。来々週には畝つくりとビニールシートを張るマルチングを行い、遅霜が減る五月中旬以降に種や苗を植えることになろう。
さて、何を植えよう。トマト、キュウリ、ナス、枝豆、…。畔に座り、持参の握り飯をかじりながら、収穫後まで思いを馳せていく。自作の新鮮な野菜を食べる生活は積年の夢だ。だが沢山採れすぎたら、どうしよう。都会に住む子や孫たちに送るか。「スーパーで買った方が送料より安いよ」と皆から揶揄されそうだ。
待てよ、コロナ騒動が長引くと、世界中の国で貿易や景気が停滞し、食糧生産国の輸出制限も始まるらしい。食料自給率の低いわが国は食料不足に陥る。終戦直後の食料危機の時代に、農村に係累のなかったわが家族は、「食料を買い出しに行く伝手もない」と悔やんでいた。この狭い畑が家族から珍重される時が来るかも知れない。
想いはさらに進んでいく。歴史的に見ると、世の中が困窮すると帰農論が盛んになる。熊沢蕃山、トルストイ、武者小路実篤などの名前が頭に浮かぶ。都市化の弊害を露呈させた今回のコロナ苦境が、ポスト工業化活動としてすでに始まっている帰農運動を一気に加速させる可能性も高い。
先日、孫の一人より今春から大学の農科へ進学すると電話があった。嬉しい知らせである。この畑が機縁となり、数十年後には彼によって大きな展開をみせることだってあり得る。そのときはお祖父ちゃんの小さな布石が感謝されよう。「隗より始めよ」という格言も漢文で習った。遠大な事業も身近な小さな行動から始まるものだ。澄みわたる青空に向って楽しい夢想が広がっていく。