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エッセイ・コラム

草花讃歌

木村 敏美

 広くもない我が家の庭に、川釣りが趣味だった義父が、釣りに行った帰りに見つけ植えた藪(やぶ)椿(つばき)や山桃の他に、槙(まき)や楓(かえで)があり、時には小鳥のさえずりも聞こえる。
 春の足音が近づくと真っ先に藪椿の花が咲き始め、楓の新芽も出てくる。暖かくなり近くの公園の桜の花びらが風に乗って庭に落ちてくる頃、楓の新芽は黄緑の美しい葉に成長し二階の窓近くまでになる。こんな樹々の下は殆ど日陰で、日光を好む花は育ちにくく、野の花を植えるようになった。山小屋に行く道のりの鬱蒼とした林の下に咲いているシャガ、ツワブキ、水引草、友人からもらったえびね蘭やすずらん。秋の花にはホトトギスと愁(しゅう)明菊(めいきく)があるが、沈んだ紫色のホトトギスに一重の純白の菊を生けると、何か凛とした美しさを感じ身が引き締まる。

 雑草も可憐な花を咲かせるが、畑の中の草は取らざるを得ない。雑草にも目があるのではないかと思われるほど、野菜や花そっくりの姿で芽を出し、根は野菜の数倍の長さで巻きついている。素朴で季節感溢れる土筆(つくし)や、蕗(ふき)の薹(とう)、蓬(よもぎ)など、どんなにとっても根を絶やすことはできない。
 だが道端や土手にある草花は好きだ。子供の頃、狐のボタン、カラスノエンドウ、ナズナ、母子(ははこ)草(ぐさ)等、黄色やピンクや白の小さい花達の上で寝ころんで遊び馴染んでいた。この遠い記憶の中の植物達が、今も身近に生きている事に気付いたのは最近だ。
 近くのスーパーの駐車場や、ビルとビルの僅かな隙間や道路や花壇の片隅に、食糧難時代に食べていた野草や草花が生き生きと植っている。旅先の新大阪駅の前でも、街路樹の下にあざみの花が咲いていた。

 絵本作家、甲斐信枝氏は雑草に魅せられ、絵を描き、研究し出版している。
 氏の雑草を追いかける日々を記録したNHKの番組「足元の小宇宙」を見た時の一場面が忘れられない。キャベツについた夜露に朝日が当たった時、無数の水玉が虹色の宝石の様に煌(きら)めくのだ!朝五時にキャベツ畑に入り、その瞬間を発見した。

 人の価値観は、見た目の優劣に基準がおかれ、草花は花屋の店先に並ぶ事はない。しかし戦後の貧しい時代、田畑の畦道(あぜみち)で蓬(よもぎ)の新芽を踏むと春を感じ、嬉しくなって思わず駆け出し、草花の咲いている畑の中に飛び込んで遊んだ。雑草達から沢山のエネルギーをもらい元気になっていたのだ。又幼な心に、雪の中から見えた赤い藪椿や、仄暗い川沿いの木の下に咲く石(しゃ)楠(く)花(なげ)を美しいと感じた日々。いつも植物達の息遣いを感じ生かされていた。
 時代が変わって、雑草達の住む場所は少なくなったが、都会の片隅にもコンクリートの隙間にも花壇の隅にも住宅街の庭にも、逞しく生きている。命を繋ぐため無数の種子を飛ばし、蜜蜂達に交配してもらうため、気が遠くなる程の作業をしながら、変わらない姿で生きている。その一生懸命さと生命力には圧倒される。

 人を見る時も、成果ではなく、一生懸命生きているか、どう生きているかを見たい。何かの為に一生懸命でありさえすればキヤベツについた水玉の様に、大きさも色もちがって誰でも輝いているはずだ。気付かれる事はなくても、何処かで誰かの力になっている。
 草花の咲く野山に行くと無条件の癒しと懐かしさに包まれるように。

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