一流の偽物
母の遺品から数枚の旧い千円札が出てきた。聖徳太子の陰から伊藤博文も覗いている。伊藤博文に代替わりしたのはいつのことだったろう。明るい色合いの新札を初めて手にしたときは「なんだか軽々しくてお札らしくないなぁ」と思ったものだ。
調べてみると、聖徳太子は1950、伊藤博文は1963年の発行である。更に調べると、1961年の偽札騒ぎ「チ-37号事件」を機に、多色刷りの伊藤博文に変更されたとの記事。「チ-37号事件」の「チ」は千円札、37番目の偽札事件の意味である。本物との違いはほんの少しつるつるした手触りだけで、他の点ではほとんど見分けがつかないという日本史上最も精巧な偽札だったそうだ。しかも、偽札の特徴が報道されるやいなや、すぐに修正して精度を増したものが出回るという巧妙さ。ここまで精巧な偽造技術を持った人間はごく少数に限られるはずなのに、捜査はことごとく行き詰まった。そうこうするうちに2年が過ぎ、大蔵省は遂に新札を発行したのだった。数百人におよぶ捜査陣もむなしく、犯人が逮捕されることはなく、1973年に時効を迎えた。
この時代には偽物が流行っていたのだろうか。戦時中に工事現場から発掘されたという触れこみの「永仁の壺」は、鎌倉時代の傑作として1959年に重要文化財に指定された。この指定に際しては、鎌倉時代の陶芸研究の第一人者で文化財委員会の専門家でもある小山富士夫の強力な推薦があった。しかし、贋作疑惑が囁かれだし、翌年には新聞でも取り上げられて騒ぎが大きくなったため、陶芸家・加藤唐九郎は自分の作品であることを名乗り出た。贋作を見破れなかった小山は責任をとって辞任。この事件の後、重要文化財級の作品を作れる男として加藤唐九郎の名声はかえって高くなった、と言われている。
海外に目を向ければ、20世紀最大の贋作者ともいわれるオランダの画家メーヘレンはフェルメールの贋作で有名だ。画家としての才能もさることながら、絵の具やキャンバス、額縁にも徹底して拘り、当時の真贋判定方法の裏をかいた。フェルメールの絵画をナチス高官に売った罪で逮捕され、ナチス協力者およびオランダ文化財の略奪者として懲役刑を科されるところだったが、自らの描いた贋作であることを法廷で証明したおかげで、売国奴から一転「ナチスを騙した英雄」にまつりあげられた。
こうして3つも取り上げると、まるで私が詐欺を称賛しているかのようだが、ちょっと違う。義賊に声援を送る心境にちょっと似ているかもしれない。違法とはいえ、そのスリルと小気味よさにワクワクし、優れた技術と知能に憧れさえ覚えるのは私だけではないように思うのだが・・・・・・。