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エッセイ・コラム

恐ろしく汚くて恐ろしく安い鰻屋

三 春

 ダ今年は鰻の稚魚が豊漁だそうで実に喜ばしいが、江戸川柳に「鰻屋のとなり茶漬けを鼻で食い」とあるように、匂いをオカズにと詠むほど鰻は庶民には手の届かない高価な食べ物だった。裏長屋の家賃が1000文、壁一枚で背中合わせの棟割長屋の家賃が300~500文の頃に鰻一皿が200文と聞けばその高値ぶりがわかる。

 数年前のある日、恐ろしく汚くて恐ろしく安い鰻屋が我が家周辺に存在するとの情報が入った。乱獲と某国の買占めで高値沸騰と騒がれる「お鰻さま」に拝顔すべく、さっそく偵察に向かう。
 表通りには「うなぎ」と書かれた赤提灯がぶら下がり、持ち帰り用の窓が切ってある。裏にまわって粗末な引き戸をガラガラッと開けると、肩を寄せ合った男たちの背中がいきなり目の前に迫る。午後4時を過ぎたばかりでほぼ満席、繰り合わせてもらってお尻をねじ込む。トイレに行くにもカニ歩きの狭さだ。この時間帯からして、客は平和島競艇で負けたオヤジさんたちと、営業外回りのサボり組だろう。客も店員も男ばかりで女は私一人。コンクリートを流し込んだ土間にカウンターと丸椅子が12個、噂にたがわず間違いなく汚い。昭和40年代に迷い込んだ感あり。
 コップ酒は表面張力ギリギリで200円。ビールと叫べばスーパードライの小瓶とグラスを渡されて300円。主役の鰻は痩せっぽちかと思いきや然にあらず、肉付き豊かにして900円。どこぞの鰻重定食は8000円もしたというのに(自腹じゃないが)。串焼きはタレ焼き・白焼き・肝・ヒレ・野菜など、どれも170円、鰻ヒレには思わず唸った。
 数少ないメニューを一巡したころ、潮が引くように先客が帰り、10分もしないうちに新しい客で埋まる。今度は近隣住民の時間帯か。回転効率を乱して居座っているのは新参の我々だけだ。安さに気を良くしてグビグビあおり、鰻1枚、串焼き5本をこなしたところでさすがに飽きた。
 帰る前にトイレを視察すべくカニ歩き。わぉ、トイレまで昭和レトロだ。頭上のタンクから下がっている鎖を引くと水が流れるあのタイプ。グイッと引っ張ったらブチッと切れた忌まわしい過去が蘇って、不安このうえない。

 一人あたり2450円! こんなイイ店はない、トイレさえ改良してくれれば。

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