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エッセイ・コラム

本郷三丁目界隈-老舗の店じまい 

藤原 道夫

 丸の内線本郷三丁目駅の改札口を出ると、すぐに交差点にさしかかる。南西角の小間物屋に「本郷も かねやすまでは 江戸の内」と染め抜かれた暖簾がかかっているのを見たことがある。本郷通をはさんで向かいが和菓子屋の三原堂、昔も今も繁盛している・・・・・。ここに書きたいのはこのような案内ではなく、二つの老舗の店じまいについて。

 三原堂のとなりが知る人ぞ知る和菓子屋の藤むら、通りから少しばかり引っ込んだところに店をかまえていた。平成3年のこと、春に九州大学でお世話になった先生にここの羊羹を送ったところ「あの藤むらの羊羹を味わうことができて感激しました」という返事を頂いた。それから間もなく店にシャッターがおり「都合によりしばらく閉店します」と書かれた貼り紙が見えた。たびたび用事のある店でもなし、改装されるのかな、くらいにしか思わなかった。貼り紙がなくなっても店は閉じたまま、本郷にあまり出かけることもなく10年、20年たっても従来のまま。平屋部分の屋根に掛けてある「藤むらの羊羹」の看板が今やさび付いてきた。この文を書くにあたってインターネットで調べてみたところ「藤むらの羊羹を食べたいのだが入手法がわからない、ご存知の方がおられましたら教えてください」という書き込みがあった。すでに廃業したと思うのだが、はっきり知っている人はいないようだ。

 交差点から春日通を御徒町の方に向かうと、湯島天神の少し手前で住居表示が湯島二丁目に変わる。その辺りに東京風すき焼きの味を売りものにしている江知勝がある。昔のこと、この店は学生に寛大で時には料金をとらなかったと聞いた。やがて学生が出世して部下をつれて訪ねてくれれば元は十分にとれる、という計算もあったという。同時に、いまや部下ができてもこのような店につれてくるかどうか分かったものでない、とも聞いた。
 学生時代に縁はなかったが、平成5年頃に3,4人で二度ほどこの店に行ったことがある。木戸を入り、狭い前庭を通って玄関で靴を脱ぎ畳の部屋に上がる。味はともかく、安くはなかったことを覚えている。
 令和2年2月半ばのこと、行きつけの歯医者にゆく途中この店の前を通った。門の脇に貼り紙があり「1月31日をもって閉店しました。長年にわたるご愛顧云々」と書いてあった。創業が明治4年とか、150年弱の歴史に幕が下ろされたことになる。外食産業が多様化するなかで、東京風すき焼きは人気が低迷していったのだろうか。それにしてもコロナ禍の始まる前のことで、なぜかほっとした気分になった。

 二つの店は、夏目漱石はじめ文豪といわれる人たちが贔屓にした店だ。かつて藤むらの羊羹をむしゃむしゃと食べた苦紗弥先生がこの二つの店の閉じ方を聞いたら、何と言うだろう?

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