8月15日に思う・・・国のリーダーとは
毎年8月15日になると必ず思い返す本の一節がある。永野護『敗戦真相紀』の中の一節である。永野護は、経済界で名を馳せた永野六兄弟の長兄で、敗戦直後の9月に講演した内容をまとめたものである。
「日本にとって最も不幸だったのは、日本有史以来の大人物の端境期に諸般のことが起こったことである。明治維新三傑(西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允)の一人でもいたら、否、それほどの人物でなくても、伊藤博文、山縣有朋のごとき政治家、また軍人であれば、陸軍の児玉源太郎、大山巌、海軍の山本権兵衛、東郷平八郎のごとき人物がいたならば、歴史が書き換えられていたであろう。では、なぜ、大人物がいなかったのか。明治以後は、人間としての鍛錬を忘れて知識・技術の習得を持って唯一の目標とし、その人生観は立身出世主義に堕するに至ったからだ」と断じている。そして、日本再生のためには、何よりも新しい人格教育が必要と力説している。
驚くのは、8月15日から一月しか経っていないのにも拘らず、これだけの内容のことを、直ちに講演できたということである。明治維新から現在に至る日本は、途中でなぜ道を誤ったのか、戦前から戦時中にかけて考え抜いた結論だったのだ。
先日亡くなった李登輝元総統は、1999年に『台湾の主張』2002年に『武士道解題 ノーブレス・オブリージュとは』を著わし、台湾人と日本人に対して語りかけている。「日本人よ、自信と信念を持て」と。読書して先人の智慧を学び、自らの精神の鍛錬に努めることにより、人は何のために生きるかが身につく。心の修練によって、大局観が生まれ、自信と勇気そして決断力ある人間へと成長できると。
特に、日本人には輝かしい「武士道」と言う規範が存在しているではないか。薄れたとはいえ、700年をかけて培った活動精神は消えていない。どうか、再び思い出して欲しいと。
数日前のテレビニュースでも伝えていた。2015年にある日本人に対して、李登輝は、「日本人の皆さん、自信を持って、自国のためだけではなくアジアのため世界のために働いて欲しい」と、熱く話したそうである。
李登輝は、京都帝国大学時代に思想と精神を鍛え、アメリカ留学時代に、アメリカの資本主義、民主主義の良さと問題点を習得した。その上で、自ら造り上げた人しての土台を基に政治家の道へと踏み出したのだった。長い年月をかけて台湾の内側からの民主化を成し遂げ、集大成ともいうべき1996年の国民直接選挙を成し遂げた。最後の任期を終えて2000年に引退した。引退してすぐ『武士道解題』の執筆に取り掛かったのである。よほどこの『武士道』の精神を、台湾と日本の人々に対し、知って貰いたい呼び起こして貰いたい気持が強かったのではないだろうか。
私は『武士道解題』を読んでから、15年以上経った。すぐ浮かぶのは、「骨格は「智仁勇」、「礼」で慈しみを、「誠」で不言実行・やせ我慢を、国に対しての誇りを、といった言葉である。
奇しくも、この二人が共通しているところは、政治家、特に国のリーダーたる者の必須条件は、人格を鍛えていなくてはならぬと力説していることである。危機的状態の国の運命を決めるのは、最後はリーダーの判断力と決断力であり、つまるところリーダーの人格にかかってくるのだ。そして人造りのための教育こそが国を支える礎であると。
敗戦を経験した日本の戦後教育はどうであったか。知識、技術の習得のみで社会も実学を学んだ学生を要求してきた。最近になって、覚える教育ではなく、自分の頭で考える教育への方向転換が見られるようになった。しかし、精神、心の面の教育は、若干復活したからとはいっても、戦後日教組のもたらした荒廃を埋めるところまではいっていない。苦難の時代こそ神輿にぶら下がるのではなく、神輿を担ぐ人間に育って欲しいのである。
現在の世界は、中近東、アフリカの内戦・内乱、コロナ危機に便乗した諸国の強権化への傾斜、中でも中国の覇権主義・戦狼外交は、米中の対立を決定的にしている。協調から自国主義へと新帝国主義時代かと見紛うばかりである。
この中にあって、日本は、日中関係をいかに対処するか、外交と経済を小手先で処理できる時代ではなくなった。台湾問題はますます熱い焦点になろう。自由と民主主義を守るため、アジア、世界で働かねばならない。経済界は、国の安全保障、技術安全保障を第一義に考えねばならなくなった。国内は、コロナ危機をいかに乗り切るか、経済のマイナス成長からくる税収減、弱者への福祉をどこまでできるか、国内外とも、戦後75年経って大きな危機を迎えたと言ってよい。
政治家は、今こそ存在意味を出さなければならない。与党も野党も、日本の死活問題を直視し、正面から何をなすべきか、侃侃諤諤論じて貰いたい。細かい揚げ足取りではなく、日本のとるべき方策について大局から正道は何かについて火花を散らして欲しい。今後は、いかなる政策を取ろうと、国民に痛みを強いるものになろう。それも、公平感、平等感を万民に与えることは困難である。誰しもが、国に不満、懸念を抱いても不思議はなく、油断すれば国の一体化が崩れかねない問題が山積である。渦中の栗を拾わねばならないのだ。
政治家たちは、中でも国のリーダーに立つ人は、国を憂えた永野護や、日本に期待を込めた日本人よりも日本人らしい李登輝の教えを、日常坐臥念頭に置いて、ご苦労ではあるが、凛として満身創痍を覚悟に必死に頑張って欲しいと強く願うのである。