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エッセイ・コラム

『記者清六の戦争』を読んで、余滴

内藤 真理子

 前半では、伊藤清六の生い立ちと、記者としての戦争とのかかわりの全容が書かれていた。
 後半は、日本がマニラを占領してから終戦後に至るまでの新聞記者の行動を、清六とその周辺の記録を総動員して記されている。
 日本に占領されたフィリピンでは、言論統制のため現地の新聞社は日本軍によって封鎖されていたが、水面下で抗日新聞が発行されている。目的は正しい情報を伝え、日本からの解放を目指し、戦いを続けさせる為だとある。又、戦局に関する日本の報道は真実ではないと気付いていたようだとも書かれている。新聞の力で人々を発奮させ、活路を見出そうとする記者魂か!
 確かに、日本の新聞は、軍が決めた「皇国の必勝不敗の信念と態勢を顕示する」という方針に従い、軍は負の事実を隠し、あたかも勝ち戦のように書くことを新聞社に強要したのだろう。
 サイパンが陥落しフィリピンの日本軍も形勢が悪くなる。清六は頻繁に故郷の兄に妻子を託す便りを送る。死を覚悟してのことだ。
 いよいよ米軍がマニラのあるルソン島に上陸。社員は社命でマニラを脱出。清六等はぎりぎりまで情報を集め新聞を出し続けたが軍も撤退準備をしている。ついに新聞社も発行停止を決定。
 清六等はマニラ新聞(旧大阪毎日新聞)を出て新たな新聞拠点を求め、マニラ北東50キロのイポダムにたどり着く。ここは天然の要塞で一万人の日本兵が多数の壕を掘り陣地にしていた。米軍が日本本土へ上陸するのを遅らせる為の持久戦を始めていた。
 ここで清六たち記者11人、中には他の新聞社の記者も加わり、わら半紙、ガリ版刷りの最後の新聞を出すことになる。勿論検閲は無い。これを読んでいる私にも新聞人の心意気が伝わって来る。
 新聞は大変な人気で、その秘密は柔らかい文体で書かれた戦況と娯楽だそうで、特に娯楽は兵士から募集した随筆、俳句、川柳等、極めつけは恋愛小説の連載だった。
 死を前にした極限の状態で、新聞を求める人々は、身を守る為の情報ばかりでなく、心を潤す読み物をも渇望したのだ。
 いや、単に読むばかりでなく、競って投稿した事実がある。このような極限の状況の中で、
 〝人間とは何と素晴らしいものか〟と思った

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