作品の閲覧

エッセイ・コラム

『わたしの芭蕉』から (1)ア音の効果

藤原 道夫

 3月上旬(令和2年)に、加賀乙彦が『わたしの芭蕉』を著したことを知った。小説家で精神科医でもある著者が芭蕉の句をどのように扱っているのか興味を持ち、しばらくして買いに出かけた。ところが丁度コロナ禍が拡がる時期に入ってしまい、本屋の入っているビルがみな閉鎖されている。5月も下旬になってようやく入手した。待たされただけに集中して読むことができた。

 著者は先ず句の推敲-漢字、ひらがな、カタカナにわたり言葉を選択し、置く位置を決める-に注目する。例として多くの句が挙げられている中でも次の句が印象深い。
     吹きとばす石は浅間の野分哉
 芭蕉がいかに言葉選びに心血を注いだかが分かってくる。これについては先人の研究があるので、俳句を詠む人たちの間ではよく知られていることだろう。
 様々に区分けされて句が解説されている。最も興味深かったのは「名句」の章。代表として、
     古池や蛙飛びこむ水のおと
 が挙げられ、次に
     荒海や佐渡によこたふ天の河
が推されている。これは芭蕉の句の中でもとりわけ素晴らしい句だと思う。解説を読み進めると、三好達治がこの句の中にア音(ア カ サ タ ナ ハ マ ヤ ラ ワ、およびこれらの濁音)が多く用いられていると指摘したことが書いてあり、思わず「そうだったか!」と声をあげた。三好の意見として「ア音は何かしら鷹揚であたたかい感じがする」、「芭蕉の句の風格の大きい落ち着きは、どうやらこの開口母音としばしば密接に関連していそうに考えられる」とある。ほかの例として次の二句が挙げられている。
     さみだれをあつめて早し最上川
     あかあかと日は難面も秋の風
 そういえば、三好達治のよく知られた詩「甍のうえ」の出だし
     あわれ花びらながれ
は、10音のうち7音がア音だ。この詩のとてものどかな雰囲気は、この辺に関連しているのだろうか。

 私はオペラの歌詞のなかに、言葉の発音とそれにつけられた音楽とがアリア全体の雰囲気をかもし出すうえで大切な要因となっていることを感じとり、考えを「言葉と音楽の戯れ」としてまとめて『悠遊第25号』に載せた。単純なことを書いたつもりだったが、イタリア語のアリアを扱ったせいか大方の理解がえられなかったようだ。
 俳句とアリアの歌詞とでは表現法が異なっていることは言うまでもないが、言葉に内包された音の響きが句やアリア全体の雰囲気を作っている大切な要素であることは共通しているように思う。『わたしの芭蕉』を通して、言葉を構成する一つ一つの音の響きが大切であることを改めて感じ直した。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧