『わたしの芭蕉』から (2)象潟や
『おくのほそ道』の道行をたどると、芭蕉は松島を発ってから石巻に向かい、そこから平泉や山寺に寄りながら苦労して奥羽山脈を越え、日本海に面した酒田にたどり着く。さらにそこから北に向かい、象潟(きさがた)まで往復している。象潟はかつて能因法師が庵を結び、西行が歌を残したところだ。その地で
象潟や雨に西施がねぶの花
と詠んでいる。『わたしの芭蕉』(加賀乙彦)では「象潟のおもむきは雨にぬれている合歓の花のよう、すなわち憂愁をたたえて目をつぶっている西施のようである」と解説されている。どうも釈然としない。この句は分かったようで分かりにくいところがある、と随分前から感じていた。『わたしの芭蕉』を読んでいるのをきっかけに、芭蕉がどんな思いでこの句を詠んだのか推測してみた。キーワードは象潟、雨、西施、ねぶ(ねむ、合歓)の花しかない。
芭蕉が訪ねた頃の象潟は、松島のように湾の中に松の生えた小島が点在している地形だった。時節は7月下旬で、折から雨が降っていた。あちらこちらに合歓の花が咲いており、雨に濡れてすぼんだ花の先から水滴がこぼれ落ちていたであろう。
西施は中国春秋時代の越の国に生まれたたぐい稀な美女。胸が痛む持病(狭心症か)をもっていて、胸を押さえて痛みをこらえる姿も美しかったという。そんな美女を見いだした越王は策略をめぐらし、対立していた呉の国王に彼女を献上した。呉王は西施を熱愛するあまりに国力の維持をおこたったため、やがて呉は越王に攻め入られて滅びてしまう。
西施は風光明媚な西湖を描写する際にも引き合いにだされる。蘇東坡は西湖に遊んだ時の様子を詩『飲湖上初晴後雨』に残した。「西湖は晴れている時もよいが、雨にけぶっている風景もまたおもむきがある。西湖を西施にたとえると、薄化粧した姿もよいが厚化粧もまた似あっている」としている。
象潟の句には前文がついている。
・・・・・・江の縦横一里ばかり、俤松島にかよいて、また異なり。
松島は笑うがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加えて、
地勢魂を悩ますに似たり。
松島は西湖に劣らないだろうとすでに述べており、象潟も似ているが少し異なった印象だという。象潟は文化元年(1804)の地震により盛り上がって地続きになってしまい、当時の景観を今や見ることはできない。「憾むがごとし。また寂しさに悲しみを加えて・・・・・・」と書いたのは、松島、漢詩、それに西施の運命にも思いを馳せた芭蕉による表現上の妙技ではないだろうか。
以上のようなことをふまえて、「象潟や」の句について私は次のように想像した。「雨にけぶる象潟の風景を眺めた。松島に似て美しいが、愁いをたたえているような印象だ。合歓の花があちこちに咲いており、雨ですぼんだ花から水がしたたり落ちている。美人西施を引き合いにだすと、象潟は(うす化粧した)彼女が愁いをたたえているような風景にみえる。また合歓の花に(厚化粧した)西施が涙している姿を連想する」
「象潟や」の句にどのような解釈があるのか、あまり調べていない。解釈についてあれこれ比較してみるのも楽しいだろう。それはさておき、加賀さんが強調するように、句そのものに戻って吟じながら言葉の響きを味わってみよう。
きさがたや あめにせいしが ねぶのはな
眼前にしっとりとしてのどかな雨の風景がひろがるのを感じる。この句のなかにア音が七つあることも句のもたらす印象に関係しているのかもしれない。