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エッセイ・コラム

一草一木あるがままに

藤原 道夫

 修学院離宮には、真夏と真冬以外の季節に、しばしば参観に行った。この離宮では、案内人に従って下(しも)、中(なか)、上(かみ)の御茶屋を見てまわる。広大な料地内にそれぞれ建物と庭園からなる御茶屋が点在しており、一通り見るのに一時間余りかかる。要所で案内人によって見どころや由来が解説される。丁寧に説明する人もいれば、簡単に済ます人もいる。
 ある年の5月末、一風変わった作業服姿の案内人に従って一回りした。その人は自分の見解を持っていそうだったが説明は短く、「自分の目でよく見る」ことを強調していた。その案内人にかねてから気になっていたことを質問してしまった。「このあたりに典型的な御所刈りの松があるはずですが、どの木ですか」 これに対して「それ枯れてしもた。御所刈りとゆうても自然に逆らわずにゆるーくやることですがな」という。枯れたのは仕方ないとして、ゆるーくがさっぱりわからない。一段落したところでまた尋ねた。「後水尾上皇はこの離宮の一草一木を選定されたそうですが、当時のもので残っているのはありますか」 案内人は語気を少し強めて「何もありゃしません。お客さん、本の読みすぎと違いまっか。今あるものをあるがままに見たらよろし」という。こちらも意見を述べたいところ、他の人たちもいたので引き下がった。
「あるがままに見る」についてはもっともなところがあると思う。しかし基礎的な知識なしに見物しても「見れども見えず」の状態に陥っていることをしばしば経験してきた。とくに海外旅行をした時このことを痛感した。修学院離宮について基礎な知識を得るために、現地で求めた冊子『修学院離宮』(伝統文化保存会)や『修学院離宮』(田中日佐夫・大橋治三、新潮社トンボの本)は読んでいた。これらは写真が主で説明文が少なく、読みすぎるほどの記事はない。それでも丁寧に読むほどに離宮の全体像が分かっていった。この離宮は完成してから360年経ち、建物は一棟を除いてすべて変わってしまった。隣雲亭(上御茶屋にある)のように焼失後建て替えられたものもある。一草一木も変わっていくのが当然だろう。3、4年前のこと、隣雲亭辺りにあった見事な色づきになる楓の木の大きな枝が枯れているのを目にし、がっかりしたことがあった。
 凡そ一年後、あの風変りな案内人に再び当たった。頃合いを見計らって「以前にあるがままに見なさいといわれたことが大変参考になりました」と声をかけたところ、ただ「そうでっか」とそっけない返事。ついでに、「後から付け加えたものは中御茶屋にある客殿以外みなよくないですね、ここの松並木もよくない」というと、「そうでっしゃろ、わしもそう思う」とのこと。初めてこの案内人と気持ちが通いあう思いがした。松並木は、明治になって京都博覧会が開かれた折、天皇が歩いたり馬車に乗り降りしたりするところを周りから見えなくするために整備された。創設者の後水尾上皇は、働く人々を含めて田園風景を楽しむためにわざわざ田畑のあぜ道を通っていたといわれる。その精神は失われてしまった。
 一草一木を自ら選定した創始者の情熱に思いをいたし、当初の姿を思い描きながら変遷してゆく形を想像し、その上であるがままに見えてくるものを観賞する、これが修学院離宮を参観するに当たっての極意であることが段々とわかってきた。

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