『逝きし世の面影』(1~7章)
(本の紹介)
2005/9 初版
平凡社ライブラリーの文庫で、本文・解説含め約600頁に及ぶ大部である。
解説の平川祐弘氏によるとこの作品は「我が国が西洋化し近代化することによって失った明治末年以前の文明の姿を追い求めたもの」だそうだ。そして作者の意見では「文化は滅びることなく変容するだけのものだが、生活様式などに示された文明は滅びるものと考える。そして日本近代は前代の滅亡の上にうち立てられた、という風に歴史を認識する」と紹介している。 現に作者は冒頭、「物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる。」と述べる。そして作者がいう“滅亡前”の様子を幕末明治期に来日した欧米人の膨大な記録を整理して我々の前に知らしめている。第1章は目的、方法論など、第2章からさまざまな切り口で“滅亡”前の文明の姿が紹介されている。
(討論)
文明と文化
- 文明は滅びるが文化は滅びない、というが文明と文化の違いについて釈然としない、説明の中にも見られない気がする。この声は多かった。
- 「文明が滅んだ」と作者は主張するが、これは正確なのだろうか。文中、滅亡を証明する箇所が分からなかった。これも同意見が多かった。
- 作者は、近代化がこれまでの文明を滅ぼしたと述べるが、近代化を評価もしている、やむをえないともする。作者の思想、立ち位置がどのあたりにあるのだろうか?
- 前は良かったといっているに過ぎないとも読める。
- 我々は明治以前に帰れない、こういうこともあったのだと1回まとめておきたいのでは。
- 文化については、江戸の文化と江戸時代の文化はちがう、これがハッキリしない憾み。
- それに、文明のアウトプットとしての文化に殆んど触れられていない点が気になる。
- 作者に賛成の立場から今でも中年若年と高年層の断絶、例:スマホ文化などはある。
文明の差が生じることはありうるのだ。 - 自分は文明が滅亡したとは思わないが、年代層では感じ方が違ってくるだろう。
- 以前ここで読んだ漱石の悩みはまさにこの作品に現れているだろう。
この本は、だからどうしてどうなった、というストーリーはないが、データベースとして尊重できる。 - 賛成。すごい本だ、労作だと思う。
- しかし核心をついた部分が見当たらない。
第2章
- 貧しい層もこうだというのが印象的だった。工業化後の西洋労働者との比較が面白い。
- しかし、笑っているから幸せとは限らない。 例:南アジア人
文化的環境も違うよ。
第3章
- 庶民は物はそれほど必要と感じなかったようだね。
- 辛抱に慣らされると物量心がなくなるのだろうか。
- 五公五民で固定→生産性アップ→百姓の取り分アップ→豊かさのサイクルはありうるね。
むしろ明治に入って貧しくなったのかもね。 - それと下級武士は本当に大変だっただろうね。
第4章
- 異人も含めて「共感」しているくだりは新鮮だね。
- 鍵のない生活、田舎と都会の差も
- “しゅうしゅう音”と外人が書いてるのは何だろうか? 結局わからず。
第5章
- 商品が細かく分業化され、緻密に特化されているのは面白かった。
- ビクトリア朝のロンドンでも同業ごとに区割りされてたと思うが、日本の分業はすごいね。
第6章
- 労働する喜び、単に賃料を貰うだけではないというくだりは良かった。
第7章
- 町内自治制度について感心させられること多々。
- 昭和前期の佐官級の暴走もこういう慣習に遠因がある?
時間足らずで駆け足になりました。