『忘れられた日本人』 宮本常一
本の紹介(ウィキペディアも参考)
作者は山口県・周防大島生まれ。学生時代柳田国男に関心、その後渋沢敬三の指導で民俗学の道へ。昭和14年以来日本全国を歩き、民間伝承を支えてきた古老たちがどのような環境に生きてきたかを、彼らの口から語ってもらい、それを生きいきと描いている。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を浮かび上がらせた。
作者は1950~51、対馬・壱岐調査、52年五島列島調査。それらを踏まえて本書は1960年刊行。
読後感想など
①全体を通して
全員が高い評価。特に「対馬にて」の評価が高かった。
- 文章の見事さ:やさしい文体、無駄のない文体、描写の的確さ
- 彼らの心情に寄り添っていることがよく分る文章
- 理屈を書かずに状況だけを丁寧に記述している
柳田民俗学の「上から目線」とは違う、との意見も
民俗学はこのように本来、底辺から見ていくものだとの声も。
②「対馬にて」
寄り合い」での意思決定方法が面白かった。(多数)
西日本、東日本で文化は違うとの網野善彦氏の意見を紹介し、しばし東西文化論。
従来の民俗学は日本全体を一律に捉えすぎている、彼は見方を変えようとしているのだと思う。
「民謡」
帰りの馬にただでは乗せてくれず、しかしどこか気遣ってくれる土地の人のマインドが不思議な魅力だった。
べちゃべちゃに親切という訳ではない、しかしいざというところで助け船を出す土地の人の良さが出ている。
③「子供をさがす」
ある家の子供がいなくなった――古くからの住民と新たに住み着いた住民との感覚の違い、行動の違いを浮き彫りにした。
これは今でもどこでも見かける現象だ。
古くからの人たちは新参者に介入しないという別の現象もある。
村落共同体的な人づきあいでは、「子供」を地域全体で共有している感じ。
これが失われているのが今日的問題なのだろうね。
④「女の世間」
- 女だけで、娘だけで四国や出雲やを遍歴旅行する物語
- 田植時に早乙女たちが苗を植えながらセックス関係や旅関係の話を楽しく、明るくしている様子を紹介
自分は北陸出身だが女だけのこういう旅行習慣はなかったと思う。西日本の文化だろうか。
いずれにせよここでは話し手も書き手も実に明るい。じめじめしていない。
セックスの話も実に朗らかでほほえましい。
⑤「名倉談義」
飯田市の南部の盆地。古老4,5人による座談会形式
村の歴史、暮らしぶり、村人が隣人を気遣う思いで話などが展開される。
実に面白い座談だが、どのように記録したのだろう。テープレコーダー?
スタッフがついた?
あとで調べて辻褄を合わせたり、相当に苦労したことだろう。
⑥「土佐源氏」
もと「博労」をしていたという、今は土佐の橋の下で「乞食」生活を送る、目の不自由な老人の独白をストーリーにしたもの。
要するに幼少時から目が見えなくなるまで続いた女性遍歴の物語。
淡々とした口ぶりでしゃべっている(そのように書いているのかも)ので却ってリアル。
「源氏」とつけたのは女性遍歴の物語だからだろう。
フィクションという説もある。
作者自身の体験という説もある、出来すぎの感がある。などで議論がわいた。
しかしこれがフィクションでは味わいがなくなるとの意見も。