『金閣寺』三島由紀夫
本の紹介
ご存じ三島由紀夫の代表作の一つ。金閣寺の美に憑かれた学僧が、さまざまの 心理的葛藤を経て、結局金閣に放火するまでを告白体で綴る。
1950/7に起きた実際の事件に触発されて取材、6年後の1956年に長編小説として刊行。
読後感想など
学僧が「金閣の美」に憑かれた、というところがよく分からない。(多くの意見)
分からない点(その1)
金閣が自分の中で何故にそれほど美しいと思うのか、思うようになったのか?
それが作品中に出てこない。
最初父親の影響で美しいと思っていた→初めて見た時にそれほどではないと感じた→それがいつの間にか美しい感情に変わった・・・このあたりが饒舌な割にはピンとこない。
分からない点(その2)
- とも関連するが、ここでいう「金閣の美」とは、いわゆる「美」ではなく、何かを象徴しているのではないか。(ここが最大の議論になった)
- 金閣の美=既成観念・既成価値の象徴 とする説
自分をがんじがらめにしているのが金閣=象徴、これを外したい。 - 金閣=三島自身 とする説
自分が大事にしてきたもの、価値観/人生観、これらと決別したい。
この作品のあたりから、三島は肉体改造など、変身を見せ始める。 - 金閣=「美」「絶対的な存在」
これらへの「嫉妬」ということが「三島ノート」に書かれている。
など、議論に花が咲いた。
次に、学僧は最後まで放火という行為をためらっていたのに、何故実行したのか?が議論に。
- 作者も最後まで悩んだと思う。放火の現実がある以上、かけ離れられない。
理屈を色々考えたことだろう。 - 作中に登場する「臨済録」の「裏に向ひ外に向って逢著せばすなわち殺せ」
「仏に逢うては仏を殺し・・・」を実行させようとしたのでは。ここがポイントと思う。
次に、作者は学僧を何故生かしたのか?(議論略)
<全体感想>
- 作品にリアリティを感じない。
- 登場人物が類型化されすぎ
- 学僧や柏木青年に対して作者の愛情が感じられない。
- 長すぎる、 饒舌すぎる、 言葉に酔っている
- 水上勉の「金閣炎」の方が読みやすい 等々、辛口の感想が多かった。
いつぞやの谷崎潤一郎『痴人の愛』『蘆刈』も散々だった。
「読もう会」は、かつてのノーベル賞候補作家が苦手?