『徒然草』兼好法師
本の紹介
作者は「吉田兼好」と呼ばれることが多いが、実は吉田姓ではなかったとのことです。
兼好法師または卜部(うらべ)兼好と呼ぶのが正しいようです。
また、近年の研究で、この作品は二つの時期に分かれて書かれたそうです(通説)。
- (一部)
- 1~32段 1319年頃 30歳代 無常観が感傷的・詠嘆的にとどまる
- (二部)
- 33段以降 1331年頃 40歳代 〃 原理的・根源的につきつめられる
安良岡康作先生の書かれた小論文を当メンバーのSさんが一枚にまとめました。
平安、鎌倉、室町、江戸へと文化の流れをこれで鷲づかみにした後、鑑賞に入りました(最後につけています)。
高校時代を懐かしみながらも、当時悪戦苦闘した古文の朗読が再現され、全員頑張って輪読しました。
今月は上記の第一部(1部~32段)から有名な段を抽出して鑑賞しました。
安良岡先生の『徒然草の世界』(教育出版)をベースにしています。
- 1.ひとり、燈のもとに
序段、11段~13段、29段
「山里生活での隠遁生活が「ひとり」「静か」の言葉に代表される、自己の内面に沈潜する生活、そこに生き方を求めたと思う。」(上記の書から。以下同様)- 30歳とは思えないしみじみとした文章の声
- 「あだし野の・・」「鳥辺山の・・」の部分が分かりにくいの声
⇒枕詞のように考えたら通じるとの意見で納得
- 2.あだし野の露消ゆる時なく
7段、25段、30段
「無常観について書いたうちの「初期」の代表的なもの。(中略)ただ、初期の段では、詠嘆、感傷の気分が強い。」- 25段 奢れるもの久しからずの趣旨・・・それにしては長い文章だ、の声
- 30段 遺体と魂は分離・別物と当時考えられていたと思っていたが、卒塔婆とか「形」も大事にしているね。
- 3.折節の移り変わるこそ
10段、19段、21段
「作者が、自然や人生のさまざまな姿に接したときの感興を書いた段」- 10段 有名な段、平安朝の文体、鑑賞態度とははっきり違う。
- 4.いでや、この世に生まれては
1段、2段、4段、5段、18段 時間の関係で省略 - 5.(原理的・根源的無常観の代表といえる段)
82段、137段、74段
第一部の詠嘆的、感傷的無常観と比較して味わうために読んだ。
明らかに違う。本格的な議論は来月の会で。
徒然草の本質(安良岡康作)
- 〇徒然草は、百数十篇の小文の雑然とした集合体。そこに兼好の人間性が反映。
⇒ 江戸時代には 教訓書、処世術書 /明治以降は 趣味論、人生論 として。 - 〇(一部)1~32段 文保3年~元応元年(1319年頃)30歳代
(二部)33段以降 元徳2年~元弘元年(1331年頃)40歳代 - 〇一部 ⇒ 二部に、成長発展がみられる
【無常観 : 感傷を克服 ⇒ 根源的、原理的に自覚】
(無常について 詠嘆 ⇒ いかに対処すべきかを工夫)
(仏道について 感想の表現 ⇒ 真剣な精進)
(女性論について 魅力 ⇒ 厳格にして徹底した女性批評)
(教養論、才能論) 表面的 ⇒ つきつめた見方、原理的な把握)
◎無常が、人生の悲痛、哀傷の源としてではなく、かえって真実を生きんがための原理、原動力として捉えられる。(価値の転換)
- 〇自己への厳しさ ⇒ 自己否定 ⇒ 仏道への精進・・一歩手前で自己への愛着を残す
西行 | 【寂しさ】 | 遁世者であることが共通。 自己否定に媒介された、自己確立の文学 |
慈悲心の発現、他者への奉仕の一歩手前。 |
長明 | 【方丈での閑居】 | ||
兼好 | 【身を閑、心安く】 |
◎三人とも、自己への愛着を残しているところに、一般の読者の共感を呼ぶ
- 〇中世的なもの(美意識) ⇒ つまるところ『さび』の様式
その発生は「徒然草」に見られる
中世的なものの序曲 → 世阿弥、利休、芭蕉へ
美意識 ⇒ 82段、137段 (未完成の美)