『深い河』遠藤周作
本の紹介
1993年の書き下ろし。作者70歳の時の作品。生まれながらのキリスト教徒として、生涯キリスト教と向き合ってきた作者の集大成ともいえる作品。
年齢も背景も異なる4人の男女が、インド・ガンジス河を中心のパッケージツアーに参加する。彼らにとっては単なる旅行ではない。妻の遺言である「転生」を探りたい人、極限状況の中で人肉を食らい、戦後狂死した戦友への法要をしたい人、神や愛を信じられなく生き方を見失っている人――など各個人の抱える問題は重い。
もう一人、キリスト教の“主”を深く信じながらも、西洋型のキリスト教についていけずに追放され、インドで新たな生き方を模索する青年――これらの重層的な課題を織り込んで物語が展開する。内容は重たいが、読みやすい。
読後感想・議論
(ガンジス河岸の町ヴァーラーナシィ)
物語の主な舞台となったガンジス河の中流域の町
訪れたことのある人は、出席者11名中2名。 町の印象を聞いた。
(第1章)
瀕死の妻の「生体遊離」経験と「転生」願望の話がある。
この二つは別物であり、読者に混同させる怖れとの意見。
(第3章)
礼拝所「クルトハイム」が登場。上智大OGの話では実名とのこと。美津子たちの大学は上智大だった。ちなみに、彼女たちがよく行っていた学生街の店名等はフィクションのようだ。
この作品の主人公は?
キリスト教徒の大津、とする意見が多い。
美津子の存在感の方が大きいとの意見も。
遠藤の同種の作品『おバカさん』に似ていると思ったとの意見も。
「玉ねぎ」が象徴するものは?
『おバカさん』にも登場するので、作者は玉ねぎに何らかの思い入れ?
玉ねぎ・・・ヨーロッパ的 ねぎ・・・日本的 と理解しては
何か意味があるのだろうが誰も知らず。
(第4章)
沼田の位置づけが話題に。
- 死に近づく存在か
- キリスト教の人間中心主義のアンチテーゼとして動物を出したか
- 放生会 日本は魚 アジアは鳥を放す習慣あり、ヒントになっている
(第5章)
類型的な内容であるの声、一方でガストン青年の意味(作者の宗教観が出ている)。
(第6章)
ツアーガイド江波の役割
いい役割をしている、人物像がリアルだとの評価。
インドの説明、解説者の役割も。能の中の間(あい)狂言と同じ。
(第7章)
チャームンダー像の見学と三条夫妻の登場
- チャームンダーのどろどろとしたところがいい、ヒンズー教にはまとまった教義がなく、それが雑多な民族階層からなるインドをカバーしているとの声。
- 三条夫妻が戦後日本の軽薄さの代表で出て来るが、余りに類型的にすぎる。
- 大津が西洋型カトリックのどの部分とぶつかったのかの説明が欲しかった。
その意味では薄い。
以下、各人の感想
- 『沈黙』の方が良かった。これはぐちゃぐちゃしている。
- 登場人物はすべて作者の部分部分で、その集積である。在りのままに出した。
- 三条夫妻は意図的に入れたと思う。
- インドブームに乗っかった作品。エンターエインメントがはいり過ぎ。
- 最後に、大津が死にかけている。 おそらく死ぬだろうが総意。
- →異端ゆえに死んでもキリスト者としては救われないのでは。
- →既存のキリスト教を超えたのでは と意見は分かれた。
- →美津子が成長するとの意見があったが、それではメロドラマになると辛口の意見が多かった。