『異邦人』アルベール・カミュ
本の紹介
ご存じ、カミュの代表作の一つ。1942年(第二次大戦中)にフランスで刊行。アルジェリア生まれの彼の出世作。
カミュの作品は、「不条理の文学」として特徴づけられ、戦後の文壇や思想界に大きな影響を与えた。サルトルによって好意的に批評され彼には追い風となったが、後に二人の考え方の溝が深刻な思想的論争に発展し、絶交へと進んだ。
『異邦人』は、不条理の思想的帰結が彼の中で十分に消化しきれていないといわれる。だが、個人の存在こそが重要とする主張やストーリーの鮮烈さでいまだに衰えぬ人気がある。
読後感想・議論
- 最初に、「不条理とは」、その隣の「実存主義」とは、さらに「西洋の哲学の流れ」、現在の「ポストモダンの考え方」などについて俯瞰した。
議論1 翻訳について 窪田啓作(新潮文庫)をテキスト
- Hさんから、訳が悪い、読みづらいとの意見
- 直訳調でよく分かった、むしろギコチナイ感じの文章がこの舞台にふさわしいとの反論も出た。
- 内容が難しかった。訳者が大変だと思った。
議論2 本質と存在
- 実存主義で出てくるこの言葉は本作品で重要だ。今は当然のごとく考えられている。
個人の存在だが、それ以前は個人は無視され、「人間は○○に奉仕するもの」「人間は○○でなければならない」とする「かくあるべし」が当たり前だった。例えば、
「神=キリスト教のため」「王様のため」「絶対主義国家のため」「共産主義国家のため」が優先し、そのドグマ(教義)が個人の行いより優先されていた。そこを「個人が反抗」する形で打ち出したこの作品の意義は大きい。 - 現在はポストモダンというが、そう言わなくとも一人一人が自由人として生きているのではないか。
生きるための主張に自信のない時代だ。
議論3 殺人の動機
- 主人公が、ぎらつく太陽の浜辺で殺人を犯す動機がわからない。最初に個人の存在ありきでも、では殺された方はどうなるの?
- やはり動機はないのだと思う。それがこの作品の最も重要な点だ。主人公は通常の(今までの)モラルに、はまりたくなかった。反抗したかった。
- しかし、これでは前向きに到達する先がないじゃないか。まだ、思想が熟していないと思う。
- ここでは問題提起しているだけ、作者も主人公を支持している訳ではないと思う。
- 思想と行動が整ってくるのは、戦後の作品「ペスト」まで待つ必要。
議論4 裁判
- 裁判で状況がガラリと変わる。「単なる殺人事件」と思われていたのが、殺人の動機がないことで急旋回するところがすごい。
- 被告を置き去りにして勝手に裁判が別方向に進行する、ここが後半の主要な部分だ。
- 「小柄な女」がレストランに突如登場、裁判でも傍聴人で登場、しかし確たる役割がないのが気になった。
→この作品には、「偶然性」というキーワードもあるのでは。人生はいつも何事かが神の摂理で仕組まれているのではなく、偶然の出会いに支配されると言いたかったのでは。
議論5 作品の書かれた背景
- キリスト教の社会の中でこそ出来た作品。我々には分からない「モラル」に縛りつけられていたのだろう。キリスト教圏では一層衝撃的だったろうね。
- 日本に植え替えると、60年安保はマルクス主義でやって良かった。70年安保では表面こそマルクス云々だが、内面はこの「不条理」ないし「実存」が主役だった。
- カミュの説く「反抗」は、一種の無抵抗主義で自分も賛成だ。ガンジーとは異なるがサルトルのような共産主義的行動主義にはついていけない。
(皆さん、若かりし頃の議論が甦ったように饒舌でありました)