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何でも読もう会

『茶の本』岡倉天心

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本の紹介

 岡倉天心は、同時に読んだ新渡戸稲造とほぼ同じ1863年生まれ。若くして日米間を何度も往復、現地でこの本を英語で著した点でも新渡戸と共通する。
 日本人の精神性を広く欧米に伝えたいとする点でも両者共通。しかし、新渡戸の『武士道』が日本、その中の武士の生き方に焦点を当てているのに対し、岡倉は汎東洋主義である。ふところの広さが目立つ。地味なタイトルの本だが、そこに展開される精神性は深い。茶と禅、茶と道教、茶室の不完な空間性など読み応えがある。

読後感想・議論

第一章 人情の椀

  • 茶道の意味がプロセスとして見るとよく分かった。
    単にお点前、作法という目だけでは分からなかったが、まさに「道」だ。
  • サムライの掟(生と死)のくだりが面白かった。
  • 「茶気がない」の捉え方が分かりにくかった。

第二章 茶の諸流

  • 煎茶を中心に議論
    大塚さんに説明してもらった。関東流と関西流の違いがありそうだ。
    日常飲む煎茶と煎茶道はまるで違うこと、戦前は抹茶と煎茶が拮抗していた事、漱石の『草枕』に登場する煎茶は高級な煎茶道であることなどが話し合われた。

第三章 道教と禅

  • 深みのある一章だ。
    作者は道教を儒教の上に見ている。道教の個人主義を治国の儒教より重視しているからだ。揚子江の文化(道教)と黄河の文化(儒教)の対比も面白い。
  • 同じく禅と他仏教の区別も面白い。
    禅の自律主義、個人主義と他の仏教の他力主義を区別しているようだ。
  • かように、道教、禅との絡み合いにおいて茶道の精神性は大変に深いと思う。

第四章 茶室

  • 「不完全さの崇拝」に尽きる。
    “わざとらしくなくわざと作る”ということだろう。
  • 茶室や器が有する空間性が大事、という主張が印象深い。

第五章 芸術鑑賞

  • 茶室の美とその鑑賞について、さすがは天心、その芸術観はうならせる。
    その他、秀吉と一輪の朝顔、ほか印象的な個所が随所にあり。

『武士道』との比較では、こちらに軍配があがった。

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