『日はまた昇る』ヘミングウェイ
本の紹介
ご存知A.ヘミングウェイの処女長編作品で、彼の代表作の一つ。
1926年発表、作家27歳時。
第一次世界大戦が終了、大帝国が幾つも崩壊、戦争の傷痕を留めるパリ及びスペインが舞台。時代の方向感覚を見失った若者達のだれた日常、牛追い祭りや闘牛に若いエネルギーの発散を求めてスペインまでやってくるが――。
一つの大きな時代が終わったあとの若者の屈折した心理が簡潔な文体で描写されている。
読後感想・議論
<最初にフランス駐在経験7年のSiさんより>
駐在時に利用したという大きな地図を何枚も黒板に。小説に登場する街区の位置、雰囲気、道路、旅行ルートなどの詳細説明。作中のカフェは実名と聞き驚く。
ちなみに、カフェは安い酒場、その上がビストロ、その上がレストランとのこと。
<議論、感想>
<全体の構成について>
- 3部立て構成。第1部を読んだとき、最後まで読了できるかと心配した(多数)。
若者たち、パリの下町、馬鹿騒ぎのオンパレード。 - 何を訴えたいのか分からなかった。
- 何だろうこれは? で始まったが、飽きさせない文章、ストーリー。退廃的な雰囲気を書きたかったと思う。
- 簡潔な文体、それだけに何を読み取るのか、戸惑った。
- くどくどと説明しない文体、理屈や思想を大上段に構えることはしない作家。
- 日常の出来事を淡々と述べ、その中で読者自らが何かを感じてくれといっているのでは。だからストーリーが会話主体になり、長くなる。
<ロストジェネレーションについて>
- この小説のキーワードであるが、意味することが訳者で違う。
対比してみた。
▽自堕落な ▽失われた ▽あてどない ▽うしなわれた
これだけの開きがある。他の箇所も結構開きある。どの訳者の本で読むかで雰囲気が相当変わる。 - 戦争の後の若者の心理として、この現象は必ず出てくる。学生運動で挫折した後の虚無感も同じことではないか。
- 第一次大戦は最終戦争という意識だった(当時)。もう戦争なんてないだろう、ならば我々は何をむきになって戦ったのか、このあと何をよすがに生きるのかという無力感だと思う。
<ジェイク論>
- 作中の語り手であり、作者の分身。戦争被害で性的不能者になったのだが、だからこそ、淡々と書けるということだろう。大事な要素だと思う。
<ブレット論>
- この作品の主人公はブレットという説がある。
- 男を手玉に取るという意識はない。彼女も戦争被害者。今は本能のおもむくままだが。
- 主人公はいないと思う。この時代に配置された一人一人が主人公では。