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サロン21

日本らしさへのこだわり

 日本は四囲を海に囲まれた島国です。一万二千年前の最終氷河期を最後に広大なユーラシア大陸から海を隔てた島国となり、独自の縄文の文化を生みだしてきました。
 大陸から距離を置いた日本の地勢学上の特質は、その言語にも影響を与えています。日本語は、世界に類語が見つからない独特の言語です。しかも、その日本語は日本人によってのみ使用され、また、日本列島においてのみ使用される言語です。
 世界の殆どの国においては、民族や文化・言語が入り乱れて錯綜しています。しかし、日本の場合には四囲を海に囲まれた自然の領域の中で、単一の民族と言語に基づく独自の文化圏を形成してきたという大きな特徴をもっています。
 温暖で豊かな自然環境に恵まれ、自然への感謝の念を抱き続けてきたことが、やがて、万物に霊が宿るという民俗神道に、更には山川草木悉皆成仏という日本独自の思想へと発展して行きました。
 また、世界の健康食の見本となる日本の伝統食を始めとして以下に掲げるようなさまざまな特色ある文化を生みだしています。

1.日本文化の特色

①.地勢的特色
 海に囲まれた島国で、欧州から見れば極東の国。西から伝播したさまざまな文化が日本列島に堆積され、日本独自の文化と融合した。
 北から南まで約四千キロの長大国。縦に広がる気候風土が多様性のある文化を育んだ。また、世界で六番目の海岸線大国でもある。
 急峻な地形で平野部は少なく、国土の三分の二は森。
 四季と雨量に恵まれ極めて多様で豊富な生態系を生みだしている。

②.日本語
 世界に類語のない独特の言語。
 かなを開発して、漢字を日本語を表記する文字として受け入れた。その工夫により日本語の独自性と継続性が保たれている。
 自然現象や人間関係にかかわる語彙が豊富。

③.治安に心配のない平和な社会
 倭国大乱と戦国の時代を除けば、都市に城壁のない安全な国。
 江戸時代には婦人だけで全国を旅できた。
 ユーラシア大陸の国家や民族が終始戦闘に明け暮れたのに比し、日本は占領も、被占領もほとんど経験していない平和国家。
 “水と安全はタダ”というほど治安のよい社会を作り出した。
 一方で、外国を疑わない特殊文化の国ともなった。

④. 祖先を敬い、継続を重んじる価値観。
 天皇家 世界最古の王室。世界で群を抜いて長い皇室。
 金剛組 世界最古の企業。長寿企業は世界で群を抜いて多い。
 血統に拘らずに、集団の中の適任者が家を守り、引き継ぐ伝統。
 家や村などへの集団帰属意識が強い。
 伝統を引き継ぐ知恵が社会にちりばめられている。

⑤.循環型・持続可能型・自給自足社会
 江戸時代にはゴミも捨てない理想的な循環型・持続可能型・自給自足社会を形成。
 自然と人の住む集落の間に里山を設けて、自然を利用しながら共生することを実現。
 “足を知る”精神の伝統。

⑥.物作りの尊重
 貴人・リーダーが率先してものづくりをする伝統。
 職人は誇りを持ち、民具や諸道具類、建築物などのレベルは高い。
 農村の管理レベルも高い。(水田の管理には人の和が必須。)
 現場主義。(理論より実践を重んじる。)
 機能と共に美を追求する伝統。

⑦.宗教
 氏神と産土神を敬い、万物に霊が宿るとする民俗神道に、仏教、儒教が習合して渾然一体となっている。
 自然崇拝を排除せず、山川草木悉皆成仏という思想に昇華し、一神教とは異なる精神文化を形成。

 禅のDNAが残っている社会
 大自然の摂理の中で人間が生かされていることを悟るのが禅の極意。
 いわば、禅は科学の対極に位置するもの。
 禅は、宗教、武士道、書画、茶道、華道、俳句など学芸、武芸、農芸のあらゆる日本の文化と生活に溶け込み、日本人の精神形成に影響を与え続けてきた。

 高い倫理観と公共の精神
 品性と人格の形成を優先する武士道精神が民族全体の理想となり、模範ともなった。

⑧.自由・平等・民主主義の国
 聖徳太子の遺訓は、和をもって尊しとなす。五カ条の御誓文も“万機公論に決すべし。”という。
 村や家は合議制で運営されるものが多かった。(江戸幕府も合議制)。
 女性の地位は低くはなかった。(天照大神、平安時代の女流文学など。)江戸時代まで、身分の区別はあったが運用は弾力的。
 古代からおおみたからと呼ばれた民と権力が対立しない独特の国柄で、国家権力には共同体的性格が色濃く反映。

⑨.率先垂範の伝統文芸
「禁中並公家ご法度」、「武家ご法度」、何れのご法度も皇室、公家、武家に対して文武の道を究めることを求め、この姿勢を町民や農民が見習った。
 江戸時代の後半には全国に二万を越える寺小屋が開設されて僧侶、武士が、術でなく、道を究めることを指導。
 エリートだけでなく、庶民にも道を究める文化が普及。
 エリート大学よりも、小学校の整備が早い(明治維新)。

⑩.食文化
 世界の手本となる健康食。
 米と野菜食中心、麹類を巧みに利用(味噌、醤油、漬物など)。
 食用の家畜を持たない。
 生を好む(魚介類、野菜)。→清潔な食の管理が必要。
 地方に特色ある伝統食や伝統野菜が多数ある。

2.日本の文化はすべて外来なのか

 日本人の起源についての定説は確立しておらず、まだよくわかっておりません。しかし、最終氷河期の後には大陸と距離ができ、異質の文明の流入を伴う大規模な民族移動の痕跡はないようです。縄文文化は日本列島の自然の領域の中で一万年以上続いたこととなり、その間に、暮らしの知恵、祭祀のやり方・埋葬の方法、建築技術などの共通の文化が列島内に育まれてきました。
 その縄文時代には世界最先端の文化があったと言えます。発掘された土器の最古のものは、世界の中でも群を抜いて古い、一万七千年前のものです。しかも品質の良い火焔土器、環状集落、縄文尺などが普及し、食物栽培も行っていました。豊富で多様な食環境に恵まれて、食用の家畜がいない唯一つの文明国であり、遊牧をしない定住社会を形成しました。
 また、ユーラシア大陸の古代文明が森を破壊したのに対して、豊かな森の文化を維持するという特筆すべき特徴をもっていました。

弥生文化の渡来

 縄文時代には既に高度の文化レベルに達しており、弥生時代以降の漢字や水田稲作などの外来文化の伝搬に対しても、その受け入れは慎重に取捨選択した形跡が覗われます。
 文字よりも言葉を大切にし、言霊を信仰していた日本人は、周辺諸国のように漢字をそのまま受け入れることに抵抗を感じたのではないか。漢語は受け入れず、長い時間をかけてかなを開発し、漢字を日本語の表記方法として活用できる目途を立ててから使用を開始したと言えます。
 かなが生み出されたことで、日本の言語と文化が守られ、神話、古代歌謡、平安期の女流文学、和歌、俳句、能や歌舞伎などの諸芸能の発展につながっています。

 稲作は縄文中期から徐々に始まっていたが、縄文末期の気候変動により稲作の普及が加速した可能性が指摘されています。土器などをみても文化の変動は徐々に時間をかけて行われました。弥生人の大量渡来は言語学からみても考え難く、新しい文化や技術を土着の縄文人が時間をかけて消化して行ったのではないか、弥生文化の担い手は縄文人だったのではないかと考えられます。
 農耕の本格的な開始から古代国家成立までに通常は五千年ほどを要しますが、日本では千年足らずで国家が成立しています。縄文時代には既に千人前後の大集落があったと推定され、本格的な農耕はなかったものの、国家が生まれる前段階にまで文化は高まっていたと言えそうです。

遣隋使、遣唐使、あるいは朝鮮半島を通じての先進文化の吸収

 支那大陸の動向は常に注視し、制度や技術の導入には熱心だったが、朝貢体制に組み入れられるのは拒否しました。また、律令制などの新制度を取り入れつつも科挙は採用しないなど取捨選択を行い、日本独自の社会体制を築きあげてきました。

元寇を退ける

 西欧を除きユーラシア大陸の国々は、一度はモンゴルの支配下に入り社会の制度や文化に強い影響を受けました。日本も二度にわたりモンゴルの襲来を受けましたが、対馬海峡と鈴木大拙師が日本歴史上最大の英雄と称賛される北条時宗の奮闘でこれを退けて日本文化を守ってきました。

伝統文化の確立

 鎌倉、室町から戦国時代にかけては日本の社会が氏から家中心へと大きく変動した時期です。権力の移行に伴って治安も乱れ、日本の町村の七割以上は、この時代に自衛に基づく共同体が形成されたことに起源をもっています。各集落に氏神を祀る神社が建ち、自治がおこなわれ、寄り合いができ、そこで連歌、茶の湯、立花、能・狂言などが行われて伝統文化が芽生えました。国民的宗教もこの時代に確立したものです。

自給自足の江戸時代

 江戸時代には、幕府による貿易の管理を行うと共に、清、朝鮮、長崎のオランダ商館などを通じて先進文化を吸収しつつ、持続可能な循環型の自給自足経済を発展させ、自然との調和を図る一方で、茶道の和敬清寂や武士道精神に代表される高い精神性を有する社会を築き上げました。

現代に引き継がれる日本文化の特色

 明治の開国による西洋文明の受け入れ、更には敗戦から米軍の占領を経ての米国の価値観の流入などにさらされながらも、前に掲げた日本文化の特色は、現代に生きる日本人に、或いは、社会や企業経営に、いささか色褪せつつはあるものの、受け継がれてきていると言えます。

3.独自の文化を保持する必要があるのか

 明治以降、とりわけ敗戦後は、日本人は日本の文化と歴史を蔑にしてきた傾向があります。
 数千万種といわれる生物の種も元をたどれば、35億年前の一つの生命に行きつくそうです。唯一つの生命が多様な生物種に展開してきたからこそ地球生態系の豊かな発展が可能となりました。気候変動や隕石の衝突にも耐えてくることができました。
 植林の森は多様な種のはびこる自然林に比して機能も低く、抵抗力も弱いようです。単一の社会は極端に走りやすく、また、もろいものです。単細胞は複製が繰り返されるだけであり、多細胞があってこそ新しいものが生まれます。
 地球にも多様な社会、多様な文化が必要ではないでしょうか。日本はそのかけがえのない文化を保持し、日本らしくあり続けることが地球にとっても重要ではないでしょうか。

 日本は、四囲を海に囲まれるという自然の領域の中で、単一民族、単一言語という恵まれた環境の下に独自の文化を発展させ、外界とは適度の距離を保ちながら、必要なものだけを取捨選択して吸収してくることができました。
 しかし、近代科学と技術により海峡のもつ意味は大幅に減殺されています。グローバリズム、中華覇権思想の台頭の嵐の中で、いかにして独自の文明を維持して行くのかが問われています。
 オリンピックやワールドカップの盛況を見るまでもなく、有為の若者が世界の舞台で活躍を夢見るのは当然でありましょう。閉鎖するのではなく、世界と結びつきを強めながら独自性を維持して行くことが重要であり、そのためには日本人が日本文化と歴史の貴さを再認識することが必須だと言えます。
 したがって教育を立て直し、日本人が歴史と文化に触れる機会を多く設ける必要があります。と同時に、言語を始めとするさまざまな日本文化の海外での普及を図り、その理解者を増やす努力を倍加すべきではないでしょうか。
 日本人は、古来、外来の文化の受け入れには熱心でしたが、自らの文化の発信には消極的でした。今こそ、かけがえのない日本文化を世界に向けて発信する時ではないでしょうか。

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