第六回議事録 教育の原点への回帰 ―教育の将来を見据える―
平成25年10月15日
1.最初に大月和彦さんから配信済みの資料に基づき、下記項目に沿ったプレゼンテーションがあり、引き続き項目ごとの討議を行った。
- ①教育再生論の背景
現状の問題点、
長期的に見た問題点 - ②学力は低下したのか
ゆとり教育の評価 - ③グローバル人材の育成に向けた教育
- ④競争原理の導入 教育委員会制度の見直し
- ⑤教育内容 改正教育基本法の展開
2.各項目に対して出席者からは下記のごとき意見が出された。
学力は本当に低下しているのか。時系列で捉えたデータがないか、或いはあっても公表されないので低下の実態は客観的には把握できない。
しかし、大学や高校などの教育の現場からは生徒の学力低下を嘆く声が多い。
代数が分からない大学生が増えている。
小6で小5の内容を教えている。→時間数が足りない。
ゆとり教育は落後者を出さないための施策だったが、逆効果になっている。
ゆとり教育は日教組懐柔策だったのではないか。生徒よりも先生にゆとりを持たせる政策ではないのか。
先生の受け持つ生徒数は減っているのに、効果が出ていない。→報告書を頻繁に提出するなど多過ぎる雑務が先生の負担になっている面もある。
欧州では10歳前後で振り分けるために、エリートを育てる一方で、落後者を出さない。→日本は悪平等でリーダーが育たない。
全国学力調査で成績の良い秋田県は→非常に熱心な先生が多い。 若い先生(特に男)はひ弱で、モンスターピアレントに悩まされる。 教育は鍛える場なのに先生が優しすぎる。→知識がなければ独創も生まれない。まず知識をたたき込むべきだ。 教育は労働ではなく、人格を形成する重要な作業。先生に子供を育てる意識が欠如しているのではないか。 教育国家のスウェーデンでは先生は極めて優秀な人材をそろえている。
PTA,教育委員会は戦後に米国が持ち込んだ制度で即刻辞めるべき。
OECD調査では15歳のこどもの学力の国際比較では順位が一時低下したが最近の調査では上位グループ(読解力8位、数学9位、科学5位)に入っている。
16歳~65歳の成人テストでは日本は世界で最高の成績。
戦前は富国強兵、戦後は高度経済成長に資する教育だった。→今後はどんな目的にすべきか。
子供が実社会を経験する機会が少なくなった。
教育にも競争原理を導入すべき→しかし、格差が拡大し、特に親の経済力による格差が増大する懸念がある。
大学が乱立しレベルが低下している。低位校の学生の意識は嘆かわしいほどに低い→だれでも大学に進学する現状は見直されるべき。
かつては中卒、高卒で優秀な人物が多くいた。
一方、旧制中学出身者はエリートとしての強烈な誇りと義務感を持っていた。
旧制では哲学が盛んだったが、現在の教育には哲学が欠如している。
ノーベル賞の鈴木先生によれば、大学進学までは競争している→大学卒業を厳しくすべき。
教育の荒廃には日教組の責任が重いが、日教組を陰で支援したのは,自民党左派だ。
グローバル化、国際競争力向上に対応できる人材とはどんな人材か。→語学力や交渉力が抜群でもコスモポリタンでは国益を軽視するのではないか。
本物の国際派はむしろ日本文化に愛着や造詣の深い人が多い。
小学校で英語を教えるよりも日本の文化や歴史を優先して教えるべきだ。
国際派の育成は会社へ入ってからのOJTで十分間に合う。
自らの体験から判断すれば、中年からでも海外勤務は支障なくこなせる→小学校で英語を教えてはエセ日本人が生まれる懸念がある。
対外折衝には論理性、専門知識、人間性があれば十分通用する。
グローバル化とは西洋化のことか→論語など中国の古典も重視すべきだ。
日本の教育は習うことを重視するが、欧米では自分で考えることを重視する。→画一的な答えのない授業も必要。
欧米では意見を発表することを重視し、低学年では教科書を学校に置き、家には持ち帰らない。
知識の詰め込みと考える力の育成と両輪が必要だ。
道徳は家で教えるべきで、学校の科目にすべきではない→しかし、“稲むらの火”などは極めて効果的な教材だった。
郷土国家を愛する教育を強制すべきではない。愛は自然に芽生えるべきものだ。
しかし、文化や歴史に触れる機会を増やし、この国に生まれたことを誇りに思うような子供達を育てる教育をすべきだ。
3.教育は社会の要請に基づいて行われ、また社会の総合力により実施される。と同時に教育は人を作り、社会を形作っていくものでもある。教育と社会が好循環し一層よき社会をつくり出していくための“教育のあるべき姿”についてさらに討議して行くこととした。
以上