近代史について思うこと
H26.5.20
横内 則之
1.米国生活での経験
- ①国民性
- 明るく自由奔放、親切で、弱い者には優しい。
- 異能(独創、多様性)を尊び、子供も尊重。
- フエアは、公正よりも正義に近い概念。
- 個人主義だが、一朝事ある時は、団結。
イベントでの国歌斉唱、公立学校での誓い(国旗への忠誠)
陸軍士官学校のモットー(duty, honour, country)
- ②国家
- 国益の為なら何でもやるえげつなさ。
なんでも一番でないと気が済まない。
- 国益の為なら何でもやるえげつなさ。
2.日本の近代史
- ①半周遅れの帝国主義
- 日清、日露戦争は、自衛のための戦争。
以後、半周遅れの帝国主義政策を展開。
- 日清、日露戦争は、自衛のための戦争。
- ②日韓問題
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『植民地化』したのは事実であるが、自立できない国を周辺国が併合することはよくあったこと。曲がりなりにも、『日韓併合条約』に基づくものであり、合法的で、欧米もこれを承認。朝鮮国内にも同調者はいた。
日本がやらなければ、露が同じことをやっただけで、日本は、安全保障上、それは容認できなかった。 - 朝鮮総督府の統治は、九割がた公正で、インフラ整備、制度改革、殖産興業、農林漁業育成、教育普及等、近代化に大いに貢献した。人口も倍増した。
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『慰安婦』は、軍が関与したのは事実であるが(ニーズ、輸送、利用規定、衛生管理等)、強制連行はしていない。道義的責任はあるが、法的責任はない。
『創氏改名』も、日本名を押し付けたのではなく、ファミリーネームを作る(創氏)ように強制したもの。改名はオプションだった。
『徴用問題』も、『国民徴用令』に基づくものは、強制連行には当たらない。 -
全てに対する賠償請求権は、『日韓基本条約』で解決済み。
国家間の請求権には、個人の損害賠償も含まれるべき。
(含まれないとするならば、原爆や無差別爆撃による一般市民被害について、個人は、米国を訴えれることになる)。
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『植民地化』したのは事実であるが、自立できない国を周辺国が併合することはよくあったこと。曲がりなりにも、『日韓併合条約』に基づくものであり、合法的で、欧米もこれを承認。朝鮮国内にも同調者はいた。
- ③日中問題
- 日露戦争以後、太平洋の覇権と中国の市場を巡り、日米の対立は不可避となった(相互に第一仮想敵国視)。
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満州帝国は、侵略の側面と、既得権益保護、ソ連の脅威に対抗、対米最終戦争の為の兵站基地作り等、自衛の側面があった。
また、満州族による清朝復活の願いもあった。満州族と漢民族は異なり、有史以来、漢民族が全満州を支配したことは一度もない。
終戦までに、17カ国が承認。 - 盧溝橋事件は偶発事件で、誰が仕掛けたかは不明であるが、1カ月後の第2次上海事変は、中国側が仕掛け、ここから全面戦争に発展。
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コミンテルンは、帝国主義国同士の戦争を煽り、内乱へ転化すること、及び、中国共産党を中心に、日本帝国主義の打倒を指令。
米英も、日本を中国にくぎ付けするように、国民政府を支援。 - 日中戦争は、引きずり込まれた戦争だとしても、又、大東亜共栄圏作りの理想があったとしても、自ら止めることが出来たにもかかわらずのめり込み、中国に多大の損害を与えた以上、侵略戦争と言わざるを得ない。
- 南京事件では、30万人の市民虐殺はあり得ない。但し、無抵抗な捕虜、便衣兵を大量に処刑しており、それに巻き込まれた市民(誤認逮捕、便乗した狼藉)もいるようなので、大虐殺と言われても仕方ない(総計2~4万人か?)。
- ④太平洋戦争
- 太平洋の覇権と、中国の市場を巡る日米の相克を背景に、欧州戦線に参戦したい米国(裏口からの参戦)と、『援蒋ルートの遮断』及び世界大戦を見越した『長期持久体制確立』の為の資源確保を目指した日本の思惑が衝突した、なり行きの戦争だった。
- 結果として、アジア・アフリカの植民地解放に貢献。
- ⑤東京裁判
- 裁判の形をした政治決着(超法規的措置)。
- 勝者の裁判とは言え、SF講和条約で受け入れた以上、順守義務あり。
- ⑥靖国問題
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天皇、総理がお参り出来るよう、A級戦犯は分祀した方が良い(三ヶ根山には、立派な『殉国七士の碑』がある)。
東条も、『国際的には無罪だが、国民に対しては有罪』と述べており、国を靖んじ得なかった自分が、分祀されても怒らないだろう。 - 国内問題とはいえ、中国は、軍国主義者を悪者にして、自国民を納得(賠償放棄)させた手前、『A級戦犯をお参りされては、立つ瀬がない』と言うのは理解できる(主権の問題ではなく、道義の問題)。韓国から言われる筋合いはない。
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天皇、総理がお参り出来るよう、A級戦犯は分祀した方が良い(三ヶ根山には、立派な『殉国七士の碑』がある)。
3.歴史観、国家観、戦争観
- ①歴史観
- 正義は双方にある(それぞれに言い分がある)。
- 物事には表もあれば裏もある。よって、多面的に見なければならない。
事実を知り、それをどう解釈するかは個人の自由
- ②国家観
- 国家には、統治機構としての国家(Government)と祖国としての国家(Country=郷土、家族、文化の集合体)があり、混用してはならない。 前者は、国民の生命、財産を守ってもらうための互助組合(代表)。 良くするも、悪くするも国民次第(批判ばかりするより、盛り立てるべき)。 後者は、イデオロギー、政治体制に関わらず、愛国心の対象。 もっと、祖国に誇りを持ち、愛すべき(ナショナリズムとは別物)。
- 国連には限界がある。 国家に主権がある以上、絶対的な、軍事力、警察力、司法力は持てない。 大国(拒否権の有る常任理事国)には対抗できない。 現在の国境を、是とするしかないが、それが正しいとは限らない(何時を正とするか?)。 人口が爆発すると、打つ手なし(生存権を否定できない)。
- ③戦争観
- 生物の基本本能は、『生きることと子孫を残すこと』、つまり、戦争の根源は、『食と安全保障の確保』にある。
- 戦争は、政治の延長で、国益のぶつかり合い。外交を優先すべきであるが、最後は力が解決する。
セーフテイネット(国連、国際法、条約、倫理等)は従の存在。 - 戦争の形態には『侵略、自衛、国際貢献』もあれば、『勝ち戦も、負け戦』もある。戦後の戦争観は感情的・一面的に過ぎ、合理的な判断を誤らせる。
侵略戦争のみを否定すればよい。
4.これからの課題
- ①歴史の総括
- 戦争世代がいなくなる今こそ、事実に基づいた公正な歴史の総括をし、後世への財産とすべき。
謝るべきことは謝り、言うべきことは堂々と言うべき。
- 国際情勢の潮目の変化(帝国主義の反省と、現状維持)の読み違い(孤立)。
- 民度の低さ(感情に流され、唯我独尊)、政治の貧困(見識と、命をかけた政治家不在)、メディアの無責任(過度の商業主義、自分だけ正義と思う傲慢さ)、結果として軍部の独走(青年将校は国家社会主義へ、中枢部は、自存自衛のための国家総動員体制へ傾斜し、政治を壟断)。但し、軍隊だけが、目を覆わんばかりの国民の窮状を救う担い手と思われていたのも事実。
- 身の丈を越えた戦線拡大(但し、少数民族が世界帝国を作った例は多い)。
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リーダーの力量不足。
戦略、独創性、率先垂範、責任感、危機管理(コンテンジェンシー・プラン)の不足。技術・情報・兵站(合理性)の軽視。
『下士官、兵は頑強で勇敢、青年将校も狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能、それも上に行けばいくほど愚鈍』・・・ソ連、米軍評。
- 戦争世代がいなくなる今こそ、事実に基づいた公正な歴史の総括をし、後世への財産とすべき。
- ②自立
イ)国家の自立-
対米ベッタリから、自立へ(軍事権、外交権を失ったものを、属国という。米仏、米独関係位が適当)。
冷戦後は、イデオロギーより経済優先(花より団子)。
米国にとって、中国と日本とどちらが大事か? -
憲法は改正すべき。
押しつけか否かが問題ではなく、国益(国際環境の変化も踏まえ)に照らしてどうかで判断すべき。
憲法とは、『権力を縛るもの』とは、専制時代の古い考え方。
『国の形を決めるもの』であり、国民から付託された『統治機構の権限と責任』、及び、その構成員である『国民の権利と義務』を明示すべき。
9条があろうとなかろうが戦争は起こる(悪魔退散のお札で、魔除けは出来ない)。
前文(平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、我々の安全と生存を保持)と9条(戦争と、戦力の放棄)は、非現実論(羹に懲りて膾を吹く)。
『自分の城は、自分で守る』のが基本。
自力で防衛(個別的自衛)するに越したことはないが、自力が無理なら、他人の力を借りる(集団的自衛)のは仕方ない。どこまで、参戦するかは、国益を踏まえて、条約や、国会審議で決めればよい。
現憲法は、戦後民主主義の諸悪(利己主義、当事者意識の欠如、観念論、二枚舌の容認等)の根源。
併せて、安保条約も見直すべき(守備範囲、権利と義務の明確化、核抑止力の明確化、地位協定等)。
- 教育基本法の学校、家庭での実践(教育勅語の代替)。
- 個の確立(リスクを取り、自ら判断し、結果に責任を負う)と、当事者意識を持った国民作り。
- 課題認識と問題解決能力(障害を乗り越え、生きる力)の育成。
- 異民族との共生(多様性の容認、異質な物の受け入れ(世界帝国の教訓))
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対米ベッタリから、自立へ(軍事権、外交権を失ったものを、属国という。米仏、米独関係位が適当)。
- ③国際協調
- 積極的な国際貢献(経済、文化、平和維持活動)。
- 日米関係を基軸とし、露、印、東南アジアとの友好拡大(遠交近攻は、外交の常道)。中韓とは、是々非々で付き合えば良い。
以上