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サロン21

サロン21 討論メモ 「戦後レジームからの転換」

平成26年12月16日

 1. 最初に上田信隆さんより、別途、配信いただいていた、戦後の出来事一覧表を参考にしながら、戦後の来しかた69年を振り返っていただきました。朝鮮動乱や安保闘争を経験し、経済至上主義はバブルがはじけて崩壊し、失われた20年も経験することになりました。
 ここらで、経済最優先のモデルを見直し、押し付けられた憲法を考え直し、真の自立に向けて転換を図るべき時期ではないかといったご趣旨の提言がありました。

 2.続いて出席者18名による自由な討論に入り、下記のような意見が出された。

「戦後レジームとは何か」

 戦後は戦争のない平和な時代で経済が発展した良い時代だった。憲法改正は急ぐべきではない。

 戦後レジームとは端的に言えば、東京裁判史観と対米べったり依存である。歴史は公正に見る必要があるし、過度な対米依存は改めるべきである。

 戦後は経済を軸に考えてきた。経済が柱だったのが、戦後レジームと言えるのではないか。今後は視座を変え、地域社会の崩壊を食い止めることが重要になる。
 安保闘争を境に社会的な騒乱はなくなった。冒険家も出なくなったが、平和になって自虐史観が横行しているようだ。
 東京裁判史観は社会に対する実質的な影響は少ない。東京裁判史観などどうでもよい。
 戦後レジームとは経済優先と米国への軍事依存と言える。
 戦後は経済の高度成長と55年体制が基軸だった。
 対米依存は問題だが、強いものには巻かれないと生き残れない。
 戦後の日本のやり方に問題があったとは思えない。損をしないように上手にやってきたし、米国は強いから逆らいようがない。
 中韓から新しい文明が来たときにも日本の良さは残った。米国からの民主主義も日本なりに咀嚼している。これでいいのではないか。
 戦後の日本はうまく立ち回ってきた。環境に旨く適合して行くのが日本人のDNAではないか。
 天皇が神様でなくなったことと、民主主義が根付いたことが戦前との一番の違い。平和憲法のお陰で戦争をしなかった。
 安倍内閣の狙いは憲法改正と戦争に向かう体制作りにある。→戦争に向かってはいない。戦争を未然に防ぐための体制作りをしている。
 戦後の民主主義が一番身についているのが今上天皇である。災害の見舞いなどによく現れている。
 戦後のレジームは経済重視、とりわけ物重視に在った。バブル崩壊を境に物重視は改まったが、次のビジョンができないのが問題だ。

 安部首相が戦後レジームからの脱却を唱えるのは、自らの国家観と現実にギャップがあると感じているからだろう。憲法を改正し、教育を見直し、国家主義を強める方向か。
 89年に東西対決が終わり、マルクス主義者も消えた。知識人は流浪している。個人が一人一人自分自身の国家観を持つ必要がある。
 戦後の日本は脱却の対象ではない。製造業で外国に追いつき、追い越した成功体験がある。
 “足るを知る”と言っても江戸時代に戻ることはできない。経済は成長しないと若者は希望を持てない。
 第一次安倍内閣の教育基本法の改正は重要だった。愛国心、道徳、公共の精神、国際貢献、家庭の教育の重要性などを詠った。

 戦後のアメリカ占領政策は、戦前の日本をすべて悪と否定するところから始まった。教育、財閥、・・・。そして1週間で作られた新憲法、伝統を否定した教育基本法・・・。
 さらに、7年間にわたる占領軍の検閲により、批判が許されず洗脳され義眼がはめこまれた。東京裁判史観も然りである。イデオロギーに捕われない歴史認識が表に出たのは占領が終わって漸く竹山道雄からである。安保闘争のリーダーであった香山健一、西部邁も次第と現実直視の保守主義へと変わっていった。しかし、安保闘争時のまま頭がフリーズしている人々がいるのは事実である。
 平和を維持するためには抑止力としての軍備が必要である。従来、日本の革新派の平和主義は、反軍備、反安保、反米であり、国際情勢からの防衛論争ではなく憲法9条死守論となってしまう。集団自衛権問題が戦争への道へ歩むとなってしまう。
 ただし、戦争の実体験をした人々が、戦争の恐ろしさむごさを二度と許すなと、反射的に9条を守れと言うのも、集団的自衛権反対と叫ぶのも、その心情の源は否定できまい。

 朝日新聞を中心に自虐史観が知識人に流されてきた。戦後、復活したマルキスト、また社会主義の持つ理想への魅力を持ち続けてきたインテリが、革命・共産主義・社会主義を声高に言えなくなって向かった一つの流れか。(知識人の流浪)

 戦後レジームからの脱却というのはネガティブである。新しい社会、新しいビジョンを作るための前向きな議論をすべきである。

 岸元首相は満州帝国の幹部、新幹線を作った十河元国鉄総裁は満鉄出身者。戦後の日本の再建は満州方式で進められた。石橋湛山が長生きしてれば日本の戦後は変わった。
 石橋湛山の前に、朝河貫一(日露戦争は日本の防衛戦争と世界に発信し、終わってからは日本の侵略的行動に将来の大きな危惧を抱いた)もいた。

 日本人は昭和一桁と昭和二桁で、戦争体験の違い、戦後の体制への所感も全く違う。

 投票率が低いのは問題。与党の政策に対して選択肢となりうる対案が出されていないのが問題。

「新しいビジョンに向けて」

 米依存から脱するための国民的議論が必要。戦争を抑止するための軍備は必要であり、まず海上保安庁を強化して領海を守るべきである。
 物まねでなく、日本独自の道を切り開いていくべきである。
 日本はトップに立って目標を見失うと、うろたえてしまう。

 日本は自らの立場を持って発信すべきである。
 よその国の言論を気にすることこそが、自虐である。意地を張って滅ぼされるより、身の程を知るべきである。
 南京大虐殺や従軍慰安婦問題でもめるのは良くない。ドイツがユダヤにしているように、被害者がいれば保証して片づけるべきだ。→問題解決に結びつかないし、反ってこじらせるので、日本は事実に基づいた主張を続けるべき。
 我慢が大事、財政規律は重要で福祉や給与など痛みを我慢すべきである。
 日本の弱いのは外交。しかし、軍事力を背景とした外交は日本の取るべき道ではない。
 教育と防災なども含めた広い意味の国防が大事。
 健全な二大政党制が望ましい→多様な価値観を反映した多様な政党ができる方が望ましい。そのためには選挙制度の改正が必要。
 人口が減少している、外国人労働者の受け入れを急ぐべきだ→治安の乱れなど大きな問題となりかねない、慎重に運ぶべきだ。
 製造業は既にピークを打った。→製造業はこれからも日本を支える。科学技術を始め日本の国際的地位を高める余地は沢山ある。

 食料と安全保障が脅かされると戦争になる。この基本の上で、ビジョンを考えるべきである。第一次、第二次産業はこれからも日本を支える。

 日本は真の自立を目指すべきである。超大国米国への過度の依存、中韓の反日政策など取り巻く環境は厳しいが、アジア、中近東などの各国の発展に協力し、信頼を確かなものにして、日本を支持する国々を増やしていくべきである。

3.関心の高いテーマで、18名が参加しての活発な議論となった。バブルの崩壊後目標を見失った観があるが、歴史に学びながらしっかりとした国家観と将来へのビジョンを、われわれ一人一人が持つことがますます重要となると言える。

以上

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