サロン21 討論メモ 「日中間の歴史認識の共有化に向け」
平成27年7月21日
〔1〕.当月は、羽田さん・横内さんを通じて横浜黒船研究会に所属されている有賀英樹さんにお越しいただいて頭書に関する講演を行っていただいた。配信済みのレジメに沿って下記について、パワーポイントを駆使しての極めてわかりやすく、また、内容の濃いご説明をいただいた。
Ⅰ 日中間の人的交流と経済関係
Ⅱ 日中共同世論調査
Ⅲ 日中間の対話の試み
ⅳ 歴史認識の共有化に向けて
結論として、
- ①2006-2009年にわたって行われた政府ベースの「日中共同研究」では、双方の立場の違いがもろにぶつかり、見るべき成果は得られなかった。
- ②一方で、横浜・上海両市の友好を目的とした「両市の都市形成の発展の比較」をテーマとする1989-1993年にわたった共同研究では、肩の力が抜けて反ってよい結果に結びついた。
- ③日中間の歴史認識の共有化は可能かと問われれば、答えはNo,but Yes。 である。
〔2〕.続いて出席者13名による自由な討論に入り、下記のような意見が出された。
横浜に長年在住しているが、両市でそんな共同研究がおこなわれたことは全く知らなかった。住民にもっと知らしむるべきだ。
また、横浜開港の深い歴史的意義を初めて知った。→山川出版の教科書では開港の年次すら記載されていない。
日中及び日韓の歴史認識共同研究の両方に参加された歴史学者の山之内昌之氏は、“中韓の学者に共通していえる点は、共同研究にあまり積極的でない、自分自身の意見も言わない。したがって成果も期待できない。”との感想を述べている。
非民主国家では事実は重要ではなく、国益にとって役立つ歴史が重要である。
日本政府は歴史論争には参加せず、歴史認識は歴史家に任せると突き放した方が良い。
ただ、客観的事実はしっかりと発信して置く必要があり、外務省見解はもっと充実させるべきだ。
両市は同じような時期に外圧により開港しているが、
日本は江戸幕府、明治新政府がしっかりと対応しその後の発展につなげた、
一方、清は混乱を極めて侵略された。
開港に対する受け止め方も両国では違ってくるのではないか。
江戸幕府は海外事情に全く疎かったかの如くに日本の教科書には書かれているが、実際にはアヘン戦争の実態などを正確に把握していた。
上海の開港は費用などを含めて外国任せとなったが、横浜は幕府が場所を選び、建設費用も負担した。実際には商人に特権を与える見返りに費用を負担させた。
清の領土意識は低かったのではないか。
香港・上海は英人に呉れてやったという程度の意識だった。アロー号事件で北京が襲撃されて初めて危機意識を持った。
歴史学者の岡田英弘氏によれば支那の歴代王朝は、歴史的事実に関心はなく、王朝の正統性を繕うために歴史を政治利用してきている。→現政権も同様である。
日清戦争の敗戦後、清から日本へ多数の留学生が来たし、日中戦争後も、毛沢東等革命第一世代は、多くの被害者を出したが、日本の事を恨んではいなかった。現在の中韓の歴史認識は、事実関係よりも、物語性(詰まり、自政権の正当性)を訴えるものであり、これに、日本が関わる必要はない。
日本の巨額のODAに対する感謝は中国からは全くない。
欧州では日本より支那の影響の方が強い。中国の宣伝戦には注意が必要だ。
日米安保の第五条を米国に履行させないようにするのが中国の狙いだ。
中国は米国を引き入れて、日中戦に勝った。日米離間策には要注意だ。
日本人は中国には負けたと思っていないので、ギャップがある。
上海のホテル建設などに関与した経験から言えば、汚職は中国人のDNAである。
中国共産党の基盤は抗日戦争と経済成長だが、農村の一揆が多発している。何が起きても不思議ではない状況である。
中国人は色々である。中には世界の実情や歴史事実をよく認識している人もいる。
〔3〕.日中間には基本的な価値観の相違、政治的立場の相違があり、歴史認識の共有化は実現困難な課題である。しかし、両国間には長い交流の歴史があり、両市の共同研究や民間のさまざまな交流が両国の価値観のギャップを少しずつでも埋めて行くことを、焦らず、慌てず、期待したい。
以上