「明治維新と南北戦争」
平成30年4月17日
〔1〕当月は、浅井壮一郎さんに配信済みの資料に基づくプレゼンテーションをお願いし、頭書に関連する広範な、また、新しい視点からの考察を御披露いただきました。
1852黒船来航
1854日米和親条約
1858日米修好通商条約
1861南北戦争勃発
1867大政奉還
「明治維新と南北戦争」は一見無関係に見える二つの出来事ですが、実は歴史の大きなうねりの中で発生したことを詳細にご説明いただきました。
また、明治維新後の日米の協力関係、欧州の軍事技術の飛躍的発展と覇権争いの激化などについても詳しくご説明いただきました。
〔2〕続いて出席者8名から以下のような意見が出されました。
- 日米修好通商条約における関税率は、日本に有利な友好的なものだったが、その後の英国との再交渉などを通じて不平等なものに改定されてしまった。
- 英国は圧倒的な国力を背景に米国、インドなどに自由貿易を強要していた。
- 英国は清などで関税を担保に取る金融なども行っていた。
- アヘン戦争での英国の責任はもちろんだが、アヘン流通を放置した清国にも責任はある。
- 日本は江戸時代の中期にすでに経済成長に合わせて改鋳して貨幣を供給する金融政策を採用していた。
- 江戸時代の税は四公六民と云われるが、末期には実質的に二公八民に近く豊かではないが困窮はしていなかった。
- 身分制度はあったものの比較的に緩やかで、農民や町民が武士になることも少なくなかった。
- 武士は威張らず、その暮らしはつつましかったようで、武士道が平民の憧れとなる基ではなかったか。
- 江戸時代を通じて一揆は三千件弱記録されている。首謀者は厳罰に処されているが、比較的に公正な裁定が下されたようだ。
- 江戸時代の日本は極東にあって、燃料供給基地としての魅力があった。
- 日本が独立を確保できたのには、極東という地の利が大きかった。
- 当時の欧州の戦闘では、武器や鉄鋼の技術革新が結果を左右している。
- 明治維新前後を見ても、力を伴わない外交は通用しないと痛感する。
以上