「日産自動車の企業体質について」
1.1月は表題について、企業文化を研究しておられる上原利夫さんにお話しいただきました。
2018年11月のゴーン会長の逮捕の後、日産OBの友人に尋ねると、あまり語りたがらなかったものの、「最近、トヨタに乗り換えた」と聞き、興味を持って、日産について研究を始められたそうです。
長い歴史を持ち、優秀な技術者を抱え、「技術の日産」と称された会社が、バブル崩壊後の社会の変化、消費者の嗜好の変化に対応できないまま、赤字経営を続け、ルノーとの提携、ゴーン会長の大改革を受け入れざるを得ないところに追い込まれた経緯をご説明いただきました。
創業者の顔が見えず、中興の祖の川又克二氏の銅像が消え、超一流の学歴の社員を集めながら和に欠ける企業文化に問題があったのではないかと指摘されました。
また、経営が行き詰まったり、不祥事を起こす企業のほとんどには、神社や仏閣が飾られていない。神や仏の存在は会長や社長の独走を抑える重要な効果があるとのご指摘もありました。
今度の新体制では、同志社大学の神学部出身の内田氏が社長に就任する異例の人事です。日産は変わることができるのか、注目されるとのお話がありました。
2.続いて、出席者6名による自由討論に入り、下記のような意見が出されました。
- 日産は東大閥だが、一中(日比谷)と四中(戸山)の仲が悪い。
- 新体制は内田社長と二人の副社長との三人体制のはずだったが、発足早々に副社長が日本電産に引き抜かれてしまった。前途多難を思わせる。
- 塩路労組委員長と川又会長の二人の“天皇”が君臨する時代が長く続いた。労組を甘やかしたのが凋落の原因との指摘もある。
- 労組は、第一と第二に分かれており、これも混乱のもとだった。
- 塩路委員長が認めないと役員になれない時代があった。
- 九代社長の川又氏は興銀の出身だが、興銀が力を失い、日産を救済できなくなったために、やむなくルノーとの提携に追い込まれた。
- 十一代社長の石原氏は、塩路労組委員長を追い出したが、彼も四中、東大の出身だ。
- ゴーン氏に至る前の8年のうち7年は赤字。大手術は必須だった。
- RVに出遅れたのが大きな痛手になった。
- ハイブリッドにも出遅れた。
- ブルーバードが大好きだった。日産のファンは多かったのに、どんどん減っている。
- ホンダの割引率は低いが、日産は高いようだ。
- “技術の日産“と言われたが、トップは長く文系が続いた異例の製造会社だった。
- 日産はトヨタの下風に立つことを極端に嫌った。そのためにトヨタを意識しすぎたのではないか。
- 過去の日産を切るために、ゴーン体制への移行は必然だった。
- ゴーン氏は20年にわたって君臨したが、前半はよく仕事をし、立派な成果を上げた。
- ゴーンの不祥事は弁解の余地はないが、ほかの役員もわかっていたはず、なぜ沈黙していたのか。監査役は何をしていたのか。
- ルノーの経営は行き詰まっていた。日産の先端技術、米国市場での販売力、両社合わせて四百万台体制の実現との目論見で、日産株の38%を取得した。ルノーの経営不振は続いており、日産からの配当でやり繰りしている状態だ。
- 日産はEVで先行しているが、今後も優位を保てるのか。
- EVではバッテリーの開発、改良が大事だが、日産はどこと組むのか。
- EVはどこでも組み立てられるが、日本の自動車産業は優位を保てるだろうか。
- 中国では環境問題もあり、EVは必要だ。